1989年、ベルリンの壁の崩壊により、東側の人たちは自由に西側へ行き、いつでも東側に戻ることができるようになった。翌年には、ドイツ民主共和国(DDR、旧東ドイツ)の各州がボン基本法第23条の規定にしたがってドイツ連邦共和国に加入し、政治的にもドイツの統一が実現した。一部の冷静な人たちを除き、多くの人たちが花開く未来(blühende Zukunft)に酔いしれていた。東の復興(Aufbau Ost)のために連帯付加税(Solidaritätszuschlag)が新設され東西が連帯して新しいドイツをつくる準備もできた。
ところが、東の復興は東の人たちが期待したほどうまくはいかなかった。日本のバブル崩壊に見られるように世界的な不況の影響は大きかったが、工業の分野では東側の優等生だった東ドイツも、ふたを開けてみると機械設備はそれこそ40年前の建国時から更新されずに老朽化していたり、工場の排煙、排水は流しっぱなし、新たな設備投資や公害防止の浄化装置のために統一前の予想をはるかに超える費用がかかることも大きく影響した。
西の人たちは、東のために自分たちの税金を投入したのに何の役にも立っていないと不満を言い、東の人たちは花開く未来が約束されていたのに、いっこうに実現する気配がないと不平を言う。おまけに、低い生活水準に抑えられていたことから、西側からは「二級市民(Bürger zweiter Klasse)」と揶揄され「こんなはずではなかった」と嘆いている。
ベルリンの壁は崩壊した。けれど、東西ドイツ人の間に横たわる「心の壁」は依然として残っている。
こう感じたことがドイツ統一、DDRに関心をもつきっかけであった。かれこれ20年、細々と関連する書籍や資料、DVDにあたり、ドイツ統一とは何だったのか、DDRとはどういう国だったのか自分なりに考えを整理しようとしているが、なんとなくわかってきたようでも、「心の壁」をどう崩壊させたらいいのかヒントは見つけられていない。
しかし、20年という歳月は人々の心を和ませてくれるようである。ベルリンの壁崩壊からちょうど20年目にあたる2009年11月に実施された意識調査の結果によると、統一してよかったと思う人がドイツ人全体の86%を占めていた。この数値は20年間ほとんど80%そこそこで推移していて、ドイツ統一10年目にご祝儀みたいに少し上向いただけだったので手放しでは喜べないが、東西の一体感を感じるという人が1995年の26%から2009年には40%と、わずかではあるが上向いていたので、これにはかすかではあるが希望がもてるような気がした。冗談半分であるが、この数値が90%以上になったら、私のDDR研究は終わりだなとひとり言を言っているが、「心の壁」を感じずに旧東ドイツの街、たとえば私の好きな街、ドレスデンの通りをあてどなく歩き、エルベ川にたどり着いたら岸辺でぼんやりと川面をながめるといったことをしてみたいとも思う。
もちろん、そこにたどり着くまでには解決すべき課題は多い。同じ意識調査では、西側の60%の人たちは、統一は東のためと思っているし、東側の57%の人たちは、今の生活状態は「まあまあ」か「悪い」と思っている。
参考にしたテキストはこちらです。
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http://www.forschungsgruppe.de/Umfragen_und_Publikationen/Politbarometer/Archiv/Politbarometer-Extra/PB-Extra_Mauerfall/