2016年6月21日火曜日

はるかなるシリア(4)(最終回)~ペトラ

平成7年(1995年)1月2日(月)続き

ヨルダンに入ってすぐの観光地は、746年の巨大地震で廃墟となったローマ時代の遺跡・ジェラッシュ。



この日はヨルダンの首都・アンマンのフォルテ・グランド・アンマンという巨大なホテルに宿泊した。
このホテルにはイスラエル大使館が入居しているとのことで、ホテル周辺は物々しい警備だった。

1月3日(火)

この日はアンマンからペトラに向かう途中に、死海、モーゼ終焉の地ネボ山、マダバの聖ジョージ教会に立ち寄った。


ネボ山には石造りの質素な教会が建っていて、



建物の中にはモザイクが見事に残っている。




次はマダバの聖ジョージ教会。
ここは最古のパレスチナの地図が残っているので有名。



夕刻にはペトラのホテルに到着。夕食後に外に出て空を見上げたら、周囲には照明もなく、空気は乾燥しているせいもあって、星空がものすごくきれいだった。

1月4日(水)
いよいよヨルダン観光のクライマックス、ペトラ。
ペトラの遺跡までは、馬に乗ってシクと呼ばれる岸壁の間の長くて細い道を進んでいく。


しばらく馬に揺られて行くと、岩の間から突如として宮殿エル・カズネが出現する。とても感動的な瞬間だ。


エル・カズネは映画「インディー・ジョーンズ~最後の聖戦」で有名になった。
ただし、入口から中に入ると祭壇があるが、映画のように奥にまで入る通り道はない。

紀元前3世紀以降、ナバティア人によって隊商の中継地として栄え、7世紀頃、忽然と姿を消したペトラ。
ペトラ遺跡はまだ全体の何パーセントかしか発掘されていないとの説明を聞いたが、それでも一日かけても見尽くすことができないほど広大な遺跡が残されている。



この日一日ペトラに滞在した後、翌5日には一路アンマンまで戻り、考古学博物館などを見学してからその日の夜にカイロに飛び、翌6日にはカイロからバンコク経由で日本に戻ってきた。

今回の旅行は、アラビア語を勉強し始めて初めてのアラブ圏への旅行だったが、すっかりアラブ圏にのめり込んでしまい、翌年の年末年始はオマーン、イエメン、アラブ首長国連邦、バーレーンをめぐるアラビア半島周遊の旅、その次の年の年末年始はイラク、と立て続けにアラブ圏の旅を続けた。
少し間があいて、平成15年(2003年)にエジプトに行ってからはご無沙汰してしまったが、シリアも、イエメンも、イラクも、悲しいことに、とても旅行で行けるような状況ではなくなってしまった。

シリアの難民の問題がきっかけで始めたこの連載も今回で終了するが、せっかく始めたアラブ圏への旅なので、アラビア半島の旅も、イラクへの旅も、機会があればこのブログで紹介したいと思う。
いつか平和な中東に旅ができることを願って。

(「はるかなるシリア」完結)