東京・広尾の山種美術館では、開館60周年記念特別展Ⅰ 川合玉堂 —なつかしい日本の情景—が開催されています。
| 山種美術館外観 |
1966(昭和41)年、東京・日本橋兜町に日本初の日本画専門美術館として開館してから今年で開館60周年を迎える山種美術館では、これからおよそ1年をかけて開館60周年記念特別展が開催されます。
その第1弾が、日本画家・川合玉堂(1873-1957)の画業を振り返る今回の展覧会。
玉堂作品を見ていつも感じるのは、今では失われつつあって見る機会もあまりない日本の田園風景なのに、なぜか懐かしさを感じさせてくれるという不思議な魅力です。
今回の特別展でもその魅力を十分に楽しむことができました。東京・奥多摩にある玉堂美術館の所蔵作品を交え、初期から晩年までの画業の変遷をたどることができる、とても充実した内容の展覧会です。
それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。
展覧会開催概要
会 期 2026年5月16日(土)~7月26日(日)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日[7/20(月・祝)は開館、7/21(火)は休館]
入館料 一般1400円、大学生・高校生1100円、中学生以下無料(付添者の同伴が必要です。)
各種割引、展覧会の詳細、関連イベント等は山種美術館公式サイトをご覧ください⇒https://www.yamatane-museum.jp/
展示構成
第1章 研鑽の時代 —明治期
第2章 玉堂芸術の確立 —大正から戦中期
第3章 画業の円熟 奥多摩時代 —戦後
第4章 玉堂のまなざし
※展示室内は次の1点を除き撮影禁止です。掲載した写真はプレス内覧会で美術館より許可を得て撮影したものです。
今回の撮影可の作品は、川合玉堂《紅白梅》(玉堂美術館)。
スマートフォン・タブレット・携帯電話限定で写真撮影OKです。展示室内で撮影の注意事項をご確認ください。
| 川合玉堂《紅白梅》1919(大正8)年頃 紙本金地・彩色 玉堂美術館 |
これは玉堂が大正期に琳派の影響を受けて制作した作品のひとつで、尾形光琳筆の国宝《紅白梅図屛風》(MOA美術館)の影響を受けていますが、光琳画には描かれていない鳥が描かれています。ぜひその場で可愛らしいシジュウカラを見つけてみてください。
山種美術館ではいつもそのときの展覧会を象徴する作品が冒頭に展示されていますが、今回はメインビジュアルになっている川合玉堂《早乙女》(山種美術館)でした。
| 川合玉堂《早乙女》1945(昭和20)年 絹本・彩色 山種美術館 |
今は農家では田植え機で苗を植えることが多く、体験学習などでしか見ることがなくなった田植えの光景は、まさに「なつかしい日本の情景」。
敗戦が決定的となった昭和20年初夏の様子が描かれていますが、田植えをする女性たちの晴れやかな表情に心が救われます。
1873(明治6)年に愛知に生まれ岐阜で育った玉堂は、13歳の時に京都の画家・望月玉泉のもとで日本画を学び始め、のちに円山・四条派の幸野楳嶺の門下で竹内栖鳳らとともに研鑽を積んでいきます。
第1章には当時玉堂が描いた《写生画巻》(玉堂美術館)が展示されていますが、その早熟ぶりに驚かされます。
| 川合玉堂《写生画巻》1888(明治21)年 紙本・彩色 玉堂美術館 |
岐阜で少年時代を過ごした玉堂にとって長良川の鵜飼は身近な夏の風物詩でしたので、生涯を通じて繰り返し描いています。1895(明治28)年に玉堂が描いた《鵜飼》(山種美術館)は初期の代表作で、構図は円山応挙の《鵜飼図》などに準じたとみられていますが、子どもの頃からよく観察していたのでしょうか、鵜匠や鵜の姿が活き活きと表現されています。
この作品は、京都で開催された第四回内国勧業博覧会に出品され三等銅牌を受賞しましたが、この展覧会は玉堂にとって大きな転機となりました。
同じく第四回内国勧業博覧会に出品されていた、狩野派出身の日本画家・橋本雅邦の《龍虎図屏風》(静嘉堂文庫美術館 重要文化財)を見た玉堂は感銘を受け、翌年には上京して雅邦の門下に入ったのでした。
玉堂の画家としての早熟ぶりには驚かされましたが、いきなり京都から東京に行ってしまうこの行動力にも驚かされます。
そして1906(明治39)年、玉堂が33歳の時に描いた《渓山秋趣》(山種美術館)は、伝統的な山水画に奥行き感をもたせた雅邦の重要文化財《白雲紅樹》(東京藝術大学大学美術館)の影響がみられますが、遠方の山並みは群馬の妙義山がモデルで、小橋を渡る人物も中国の高士ではなく、薪を担いだ日本の樵(きこり)ですので、当時から日本の風景を描こうという玉堂の姿勢をみてとることができます。
こうして、円山・四条派、狩野派という江戸絵画の二つの大きな流派を基礎に、玉堂は日本の四季折々の情景を描いていくのですが、筆者が特に魅力を感じるのは、ここに農作業の帰りの人たちがいるといいなと思うと、そこにはそれにふさわしい人物が描かれているという、心にしっくりとくるところなのです。
こちらは、川合玉堂《山雨一過》(山種美術館)。ここに馬を引く馬子がいるといいなと思ったら、やはりいました。もうすぐ岩陰に隠れそうな瞬間をとらえたところも絶妙です。それに玉堂作品では人物は小さく描かれていることが多いので、より自然に風景の中に溶け込んで見えるのも大きな魅力です。
さらに郷愁をそそる重要なアイテムは渡し舟。今では生活に根付いたものは少なく、観光用としてわずかに残っているだけではないかと思われますが、玉堂の作品の中には、人物とともに生活の一コマとして描かれているのです。
古きよき日本の情景を描き続けた玉堂ですが、戦争とは無縁ではありませんでした。
荒れ狂う海を描いた《荒海》(山種美術館)は、1944(昭和19)年に開催された文部省戦時特別美術展(第7回新文展)に出品された作品。
昭和18年には連合軍の反撃が本格化し、大本営は日本軍の大戦果を発表していても、勝っているはずの戦地は徐々に日本に近づき、昭和19年7月にはついにサイパン島が陥落。その後、サイパン島をはじめマリアナ諸島から飛び立つB29による本土爆撃が本格化する時期でしたので、押し寄せる波(連合軍)を受けても微動だにしない岩(日本)は、玉堂の心中を反映しているように思えます。
| 川合玉堂《荒海》1944(昭和19)年 絹本・彩色 山種美術館 |
この作品の海の景色は、横浜市金沢区富岡にあった玉堂の別荘・二松庵(にしょうあん)での写生に基づいているとのことです。
二松庵の主屋は残念ながら2013(平成25)年に火災により焼失してしまいましたが、現在では旧川合玉堂別邸(二松庵)庭園として定期的に一般公開されています。
かつては庭園から海が見えたので、玉堂は来客に「庭師が大きな池を作ってしまった」と冗談を言ったそうです。
(以上、横浜市の公式サイトからの引用)
現在では埋め立てにより海ははるか彼方に行ってしまいましたが、それでも往時の面影をしのぶことができるので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
詳しくは横浜市の公式サイトでご確認ください⇒旧川合玉堂別邸(二松庵)庭園
山種美術館の猫といえば、竹内栖鳳の重要文化財《班猫》や小林古径の《猫》(どちらも山種美術館)を思い浮かべますが、玉堂が飼い猫を描いたとされる《猫》も負けず劣らず可愛いさいっぱいです。
解説パネルには、「玉堂のことば」として猫が玉堂にじゃれついている様子が掲載されているので、玉堂がどれだけ飼い猫を可愛がっていたかがよく伝わってきます。
| 川合玉堂《猫》1951(昭和26)年頃 紙本・淡彩 山種美術館 |
ほかにも川合玉堂と、玉堂の作品と人柄に惹かれた山種美術館の創立者・山﨑種二氏との交流の様子がうかがえる書簡もあって、ほのぼのとした気持ちにさせてくれる展覧会でした。
今回も展示作品にちなんだミュージアムグッズが充実しています。さらに開館60周年記念を記念して製作されたオリジナルトートバッグはおしゃれで軽くてたっぷり入るすぐれもの。
ミュージアムショップにもぜひお立ち寄りください。
山種美術館が2026年7月7日(火)に開館60周年を迎えることを記念して、7月7日(火)~7月12日(日)にご来館いただいた方にはノベルティグッズのプレゼントがあります。
1階の「Cafe椿」で、美術鑑賞の余韻のなか、お茶や出品作品をモチーフにしたオリジナル和菓子をいただくのもおすすめです。
山種美術館開館60周年記念特別展の今後のスケジュールはこちらをご覧ください⇒https://www.yamatane-museum.jp/exhibitions/schedule.html
これからの1年間が楽しみです。