(前回からの続き)
話は少し遡るが、1939年(昭和14年)8月にドイツがソ連との不可侵条約を締結する前のこと。日本国中でドイツとの軍事同盟締結の気運が盛り上がる中、ドイツとの同盟がアメリカとの戦争につながり、ひいては国の破滅をまねくことに気がつき、軍事同盟の締結に反対した3人の海軍軍人がいた。
米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長(肩書は平沼内閣当時)である。
特に山本は、アメリカ駐在の経験があり、享楽的と見られていたアメリカ人がいざ戦争になると本気でかかってくるヤンキー魂を見抜いていたし、日本とは比べものにならないくらいの工業力のものすごさを知っていた。
東宝映画「山本五十六」(1968年(昭和43年)公開)では、ドイツとの軍事同盟に消極的な海軍の態度に苛立った陸軍の若手将校が海軍次官室に押しかける場面がある。
「いい加減に海軍も話を分かっていただきたい。盟邦ドイツと手を結ぶしかないでしょう」と軍事同盟への協力を迫る陸軍若手将校に、山本は「そんなにドイツと仲良くしたいのか。一度、アメリカに行って工場の煙突の数を数えてきなさい。日本の何千倍、いや何万倍あるか分からん」と諭すように話している。
山本は、同盟推進派からの脅迫状も連日のように届き、命を狙われるようになったので、遺書をしたためた。自分の身を犠牲にしてでも日本を破滅から救おうという覚悟であった。
独ソ不可侵条約の締結により、日独軍事同盟の動きは下火になり、平沼内閣総辞職とともに山本は海軍次官を辞職し連合艦隊司令長官に任命された。1939年(昭和14年)8月30日のことである。これは連合艦隊がボディガードなら命も狙われないだろうという米内の配慮であったとも言われている。
それにしても三船敏郎の山本五十六はかっこいい。なにしろ重みがある。前線激励のため一式陸攻に搭乗し、米軍機に撃墜されるラストシーンで、背後から銃弾が貫通し軍刀を握ったまま微動だにしない姿で死を暗示させるところは圧巻。ジャングルの中に滑り込むように墜落する特撮シーンも見ごたえがある。
今年の12月23日には「聯合艦隊司令長官 山本五十六」が公開されるそうだ。山本役は役所広司とのこと。映画「ローレライ」では潜水艦長の役を演じて軍服姿もそれなりに様になっていたが、山本五十六はどうかなあ。
それに、最近の映画はコンピューター・グラフィックを多用しているので、どうも嘘くさくていけない。年代がばれてしまうが、私は東宝の怪獣映画、ウルトラシリーズやサンダーバードで育った世代。特撮でどこまで本物に近い迫力を見せるかが映画の醍醐味と思っている。
とはいっても、開戦直前までアメリカとの和平交渉成立に望みをもち、開戦後も早期講和の必要性を考えていた山本を描いているようなので、どこまで描き出しているか見に行ってみよう。ところで、今年は日米開戦から70年目。12月8日に公開したらさすがに同盟国アメリカを刺激しすぎか。
多くの日本人は、ポーランド侵攻の1939年(昭和14年)9月1日より真珠湾攻撃の1941年(昭和16年)12月8日の日付を記憶しているだろう。
もちろんドイツ人はその反対だが、ドイツ人は第2次世界戦争が終わったのもドイツが降伏した1945年(昭和20年)5月7日と思っている。
あるとき、ドイツ人の友人たちと話をしていたらポツダムのことが話題になり、誰かが「戦後、ポツダムで会談が行われたんだよね」と言った。最初、私は聞き間違えたのかと思ったが、みんな「そうだね戦後だね」とか言っている。私は思わず「ちょっと待った。まだ戦争は終わっていないよ」とむきになって言い返した。(ポツダム会談のことは6月20日のブログで書いたのでご参照ください)
するとドイツ人の友人たちは「まあ、そうカリカリするな。ドイツでは戦後だよ」とこともなげに言う。日本とヨーロッパ、認識の違いはこんなものなのかもしれない。
終戦の話ではないが、日本にも良識派がいたことを知ってもらいたいので、ドイツ人にも「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を見ることを勧めようかな。
(次回に続く)
(追記)
例の家電量販店で「ブリキの太鼓」を買った。値段は1,780円、公開は1979年とある。今まで見ていたのがテレビから録画していたものなので画面の鮮明さは格段の差だ。
ジャケットの写真を見開きで添付する。