(前回からの続き)
カダフィ大佐はヒトラーが選んだ道はとらずにドイツの技術者が作ったともいわれる強固な「地下要塞」から脱出した。国外に脱出したとの情報もある。東からソ連軍、西から米英軍が大挙して攻めてきた第2次世界大戦末期のドイツとは状況は全く異なり逃げ道はいくらでもあった。反体制派といっても実態はいくつもの部族や地域の民兵組織の寄せ集めで、戦っている兵士にしてもテレビの映像を見る限りは普段着をきた若者が銃を乱射しているだけで、どう見ても戦闘のプロではない。一方のカダフィ派は最新鋭の兵器で抵抗を続けている。
反体制派はカダフィ派を制圧できるのだろうか。それともこのまま泥沼の状態が続き、第二のイラク、イエメンになってしまうのか。
話はそれるが、一時期、アラビア語を集中的に勉強していて、アラブ圏の国をいくつも旅行したことがある。イラク、イエメンにも行った。どちらもオイルマネーじゃぶじゃぶの国と違って古き良きアラブの雰囲気が残っていてとてもいい印象だった。イエメンでは何とドイツ語を使う機会もあったのでその時のエピソードは別の機会に。
日本に目を移すと、民主党代表選は海江田氏がリードとのニュースが目に入った。
民主党政権になって2年、だれが代表になっても月末には3人目の総理大臣が誕生する。自民党政権時代から6年連続で総理大臣が代わることになる。
映画「山本五十六」にこんな場面がある。
心ならずも三国同盟が締結された後、連合艦隊旗艦「長門」の執務室で山本が従兵とかわした会話。
山本「ところで私の従兵になってどれくらいになる」
従兵「はい、1年10か月であります」
山本「そうか、近頃の総理大臣よりよっぽど辛抱強いな」
当時も総理大臣はすぐに辞めた。
「欧州情勢は複雑怪奇なり」と言って辞職した平沼内閣は約8か月(昭和14年1月5日~同8月30日)。次の阿部信行内閣は約4か月半(昭和14年8月30日~昭和15年1月16日)。三国同盟を阻止したかった米内光政内閣は陸軍が陸軍大臣を辞任させ後任を推薦しないという挙に出て6か月であえなく総辞職(昭和15年1月16日~同7月22日)。日独伊三国同盟を締結した近衛文麿内閣はそれでも対米外交交渉を続けていたが、東條英機陸軍大臣に開戦を迫られ1年3か月で総辞職してしまう(昭和15年7月22日~昭和16年10月18日 第一次近衛内閣は昭和12年6月4日から昭和14年1月5日までの1年7ヶ月)。そして、近衛のあとを東條が継ぎ、対米開戦に突き進んだ。
第一次世界大戦後のワイマール共和国も同じような状況だった。ワイマール時代は小党が分立し不安定な政治状況が続いた。1919年2月13日のシャイデマン内閣の誕生から1933年1月28日のシュライヒャー内閣退陣までの約14年間で14回も首相が交代している。こういった混乱に乗じて勢力を伸ばしてきたのが国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)であった。
さて、現在の日本。やはり歴史は繰り返したくない。時事通信社が毎月行っている世論調査によると、8月の政党支持率は、民主党10.1%、自民党15.5%、公明党3.1%、共産党2.0%、みんなの党1.1%、その他0.4%、支持政党なし65.6%となっている。今のところ民主党、自民党に代わる大きな勢力は出ていないが、一般受けしそうなキャッチコピーを掲げ支持政党なし層をとりこんだら・・・。
考えたくない話である。
西ドイツでは第二次世界大戦後、ワイマール時代の反省から、得票率が5%に満たない政党は議席を獲得することができないという「5%条項(5%-Klausel)」が定められ、ドイツ連邦共和国建国の1949年以来、2大政党のCDU-CSU(キリスト教民主同盟-キリスト教社会同盟)、SPD(社会民主党)、中規模政党のFDP(自由民主党)、および最近では緑の党(Grünen)による比較的安定した政権運営と政権交代が行われている。
ドイツ連邦共和国の建国以来の首相
1949年~1963年 アデナウアー(CDU) CDU-CSUとFDPの連立
1963年~1966年 エアハルト(CDU) CDU-CSUとFDPの連立
1966年~1969年 キージンガー(CDU) CDU-CSUとSPDの大連立
1969年~1974年 ブラント(SPD) SPDとFDPの連立
1974年~1982年 シュミット(SPD) SPDとFDPの連立
1982年~1998年 コール(CDU) CDU-CSUとFDPの連立
1998年~2005年 シュレーダー(SPD) SPDと緑の党の連立
2005年~ メルケル(CDU) CDU-CSUとSPDの大連立
(2009年からはCDU-CSUとFDPの連立)
62年間で首相の交代はわずか8回。ドイツ統一を成し遂げたコール首相は4期16年、ドイツ統一のもう一人の立役者ゲンシャー外相(FDP)はSPDとの連立政権時代の1974年から1992年まで18年間も外務大臣を務めている。だからこそ、当事者の東ドイツや米ソ二大国、フランス、イギリス、ポーランドなどの近隣諸国との信頼関係を築き大きな仕事を成し遂げることができた。
毎年、首相や外務大臣がコロコロ交代してるようではこうはいかない。
(次回に続く)