(前回からの続き)
プラハの旧市街の通りはまるで迷路のように入り組んでいる。ヤン・フス像の立つ旧市街広場からカレル橋に行こうと思うとかならず迷ってしまい、いつも違うルートを通っているようだが、決まってカレル橋のたもとに出てくるから不思議だ。
カレル橋からはヴルタヴァ川対岸にある小高い丘の上にそびえるプラハ城を一望することができる。ヴルタヴァ川は豊かな水をたたえ、有名なチェコの音楽家スメタナの「ヴルタヴァ」のようにゆったりと、そして、長いプラハの歴史を刻みながら流れている。
さて、今回の舞台となる西ドイツ大使館は、カレル橋を渡り、プラハ城を右手に眺めながらなだらかな坂道を登ったマラー・ストラナ地区にある。歴史のある建物の多いプラハの中でも特に重要なバロック建築の建物で、かつてボヘミアでは伝統があり有力な貴族ロブコビッツ家の屋敷であった。
1989年夏、そこには何千人もの東ドイツの家族が押し寄せ、出国ビザを求めて大使館の庭にテントを張って何日も待っていた。
その騒ぎを聞いて、東ドイツ政府から全権特使として派遣されたのがヴォルフガング・フォーゲル。彼は、東ドイツで東西に分断された家族の再会や、西ドイツへの出国を仲介するなど、東西対立の中、東ドイツで長年にわたり人権問題を扱っていた弁護士だ。
彼はプラハに到着した9月26日、出国を希望する人たちを前に訴えた。
「東ドイツに戻れば、6か月以内に西ドイツへの出国を認める。報復措置はとらない。私が保証する」
しかし人権問題では長年の実績のあるフォーゲルをもってしても東ドイツ市民を説得することはできなかった。彼の呼びかけに応じた市民はわずかであった。「何の役にも立たなかった」との言葉を残して彼は翌日、同じく現地の西ドイツ大使館に集まって出国を希望する東ドイツ市民を説得するため、ワルシャワに飛んだ。
在プラハ・ドイツ大使館のホームページに建物(Das Palais Lobkowicz)が紹介されている。なぜか逆さまになっているページもあるが、大使館に押し寄せた東ドイツ市民の写真もあるので、当時の様子がよくわかる。
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東ドイツ市民の説得に失敗した東ドイツ政府は投げやりになっていた。ホーネッカーは言った。
「出ていきたいなら出してやる。そのかわりプラハからドレスデンを通ってバイエルンに行くという条件つきだ」
何の意味もないが、形だけでも東ドイツに戻ったことにしたかったのだ。
9月30日、ボンの東ドイツ代表ホルスト・ノイバウアーはザイタース官房長官、ゲンシャー外相にホーネッカーのメッセージを伝えた。
「一度東ドイツを通るのであれば、出国希望者を列車に乗せて西ドイツに連れて行っていい」
この申し出にゲンシャー外相は驚いた。東ドイツ国民を刺激するのではないか。
しかし、ホーネッカーのゴーサインが出たのだから、もうぐずぐずしてはいられなかった。ゲンシャー外相はすぐにプラハに飛んだ。
そしてその日の夜の7時前、ゲンシャーとザイタースはプラハの西ドイツ大使館のバルコニーに姿を現した。
すでにあたりは暗く、バルコニーにいる2人にスポットライトが当たり、前庭にいた東ドイツ市民は大きな期待をもって手拍子で迎えた。
ゲンシャーが口火を切った。
「ドイツ国民のみなさん(Liebe Landsleute)」、ゲンシャー外相はLandsleute(=同国人、この場合はもちろん同じドイツ国民という意味)という言葉を使った。
「私たちはお伝えしたいことがあって来ました。今日、みなさんの出国は(wir sind zu Ihnen gekommen,um Ihnen mitzuteilen,dass heute Ihre Ausreise)・・・」
ここから先はその場にいた人たちの歓声でかき消された。
でも誰もがわかった。西ドイツへの出国が認められたのだ。
その時の模様は、翌10月1日、ドイツ国営放送ARDのニュースTagesschauで放映されている。
残念ながら画面が暗くてゲンシャー外相がどこにいるのかよくわからないが、その場にいた人たちの感動が伝わってくる。
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一方、東ドイツの国営テレビはそっけなくこう伝えた。
「東ドイツ政府は、プラハの西ドイツ大使館に不法滞在していた東ドイツ国民を東ドイツ領内を通って西ドイツに退去させることでチェコスロバキア政府と合意した」
そこで困ったのが、列車が通過する予定のドレスデン県(※)知事ハンス・モドロウであった。
(※)東ドイツでは地方分権的な州制度が廃止され、今までの5つの州(ザクセン、チューリンゲン、ザクセン・アンハルト、ブランデンブルク、メクレンブルク)に代わって14の県(Bezirk)とベルリンに分けられた。それぞれの県は県庁所在地の都市名をとっていたので、ドレスデン市の属する県はドレスデン県だった。
ちなみに、東ドイツ各州の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)への加入を想定したボン基本法第23条「この基本法は、さしあたり、バーデン、バイエルン(以下、西ドイツの各州が続く。ボン基本法制定後、合併した州があったので、今では存在しない州名もある)の州領域で適用される。その他のドイツの部分では(=東ドイツのこと)、基本法は、ドイツ連邦共和国への加入後に効力を生じるものとする」とされていたので、東ドイツでは統一前に州を復活させて、各州がドイツ連邦共和国に加入を申請するという方法がとられた。
なお、この条項は、統一後、目的を達成したので削除された。
(次回に続く)