2012年6月16日土曜日

旧東ドイツ紀行(25)

11月17日(木) ライプツィヒ続き

寒さから逃れるために入ったのは旧市庁舎。
旧市庁舎前のマルクト広場は、いくつもの店が立ち並び、せわしげにクリスマスの市の準備を始めていた。


 建物の裏手にはゲーテの銅像が立っているが、周囲に木が生い茂っているので、銅像はあまり目立たなかった。


旧庁舎は現在では歴史博物館となって保存されている。
内装は当時のままで、各部屋にライプツィヒの歴史を物語る財宝や資料が展示されている。



これはかつての大広間。どの部屋もシャンデリアや内装が豪華。

トイレの鍵も重厚だ。まるで中世の牢獄の扉のよう。開けるのに苦労した。



19世紀の頃の市街地のジオラマがあった。当時、市の中心部は城壁で囲まれていた。


今回のドイツ旅行前に買ったデジカメには、本物の景色がミニチュアのように見える「ミニチュアライズ機能」があるので、この機能を使って撮ってみた。
実はベルリンでテレビ塔に上ってベルリンの街をミニチュア風に撮ろうと思っていたのだが、もやがかかっていてテレビ塔に上れなかったので、この機能を使うチャンスがなく、どこかで試してみたいと思っていたのだ。
ミニチュアをミニチュアライズで撮るというのも変だが、高いところから撮ったつもりで一枚。
やっぱりミニチュアっぽく見える(?)


写真中央の広場はマルクト広場で、その前に旧市庁舎が建っている。右手の黒い屋根と高い塔の建物はトーマス教会。マルクト広場から左の方に視線を移すと、ニコライ教会の塔と黒い屋根が見える。
写真左手の先が現在のライプツィヒ中央駅なので、この日は左から歩いてきてニコライ教会に入り、そのあとはマルクト広場を抜けて城壁近くの「カフェ・バウム」で昼食→トーマス教会→マルクト広場を通り過ぎて写真左端のアウグストゥス広場→中央の旧市庁舎に戻ってくるというルートを歩いてきた。

今でもかつての面影を残すライプツィヒ。
それでも第二次世界大戦中は連合軍の空襲により大きな被害を受けた。
チケット売り場のおねえさんに聞いたところ、
「1943年12月4日に大空襲がありました。そのとき、この建物も屋根に少し被害を受けましたが、その後の空襲では被害を受けなかったので、昔のままの状態が残されているのです。屋上も戦後、修復されました」と、丁寧に説明してくれた。

中央はライプツィヒのジオラマのある広間。右手前は空襲のお話をしてくれたチケット窓口のおねえさん。パソコンで顔が隠れているが。


いつの間にか外は真っ暗。クリスマスのイルミネーションが冬の夜空に彩りを添えてくれる。

時計を見ると夕方の5時前。夕食にはまだ早かったし、酔っぱらって教会に行くのは不謹慎と思い、夕食前にもう一度ニコライ教会に行くことにした。
するとそこでは教会のガイドツアーが始まっていた。
(次回に続く)