2012年6月3日日曜日

旧東ドイツ紀行(24)

11月17日(木) ライプツィヒ続き

お昼を食べた後はバッハゆかりのトーマス教会。


中に入ると、夜のコンサートに向けてパイプオルガンの練習をしていた。オルガン奏者が演奏していたのは正面でなく、右端に見える方。


ステンドグラスの絵が午後のおだやかな日差しにきらきらと輝く中、私は椅子に腰かけ、しばしパイプオルガンの調べに聴き入っていた。


東ドイツ民主化の動きの中、トーマス教会でも月曜の祈りが行われていた。当時の市民たちが将来への不安や希望を書いた紙片が十字架に貼られている。


教会前のバッハの像。上着の左ポケットの中身が外に出ているのはお金がないことをアピールしている、と『地球の歩き方』に書いてあったが、近くまで寄ってもよくわからなかった。

ここはかつて「カールマルクス広場」と呼ばれたアウグストゥス広場。ニコライ教会で祈りを終えた人たちは、この広場を通って市内をデモ行進した。
正面はオペラハウス。

広場の反対側は、平和的革命の立役者となったクルト・マズアーさんが楽団長を務めていたライプツィヒ・ゲヴァンドハウスオーケストラの本拠地「ゲヴァンドハウス」。




ゲヴァンドハウスの後ろにはライプツィヒ大学の高層ビルが見える。ドイツで2番目に古い大学だが、建物は新しい。旧東ドイツ時代はカールマルクス大学と呼ばれていた。
ドイツの街のどこにでもあったマルクス、エンゲルスの名前。今ではどこにもない。


11月中旬ともなると日の暮れるのは早い。まだ3時半前だというのにだいぶ日が落ちてきて、気温も下がってきた。お昼のバターもすでに体の中で燃焼しきってしまったようで、寒さが身にしみてきた。
「まるで冷蔵庫の中を歩いているようだ!」と心の中で叫びながら歩いていたが、通りの電光掲示板を見たらなんと4℃。
やっぱり冷蔵庫の中だ。
これではたまらないので建物の中に避難することにした。
(次回に続く)