9月5日から9月11日までドイツに行ってきました。
写真や資料の整理は一段落しましたが、旅行記の方は、泡盛やワインのように少し置いた方が美味しいものができるかもしれないということで、今は頭の中で構想を練っている状況です。
そこでドイツ紀行の方は少しお待ちいただいて、しばらくはグラスの詩の続きを。
さて、今回は第5段落。
武器を携えた軍勢が、多くの島々に恵まれた国を襲った。
将兵のために背嚢にはヘルダーリンを携えて。
1941年4月6日、ドイツ軍は、同年2月28日に三国同盟に加入したブルガリアからギリシャに侵攻し、5月にはギリシャ全土を制圧した。
ギリシャから多くのことを学んだのに、そのギリシャを軍靴で踏みにじった、グラスはドイツをこう非難している。
しかし、ギリシャへの侵攻はヒトラーが望んでいたものではなく、ギリシャ攻撃に失敗したムッソリーニがヒトラーに泣き付いて援軍を要請したものだった。
おかげで5月15日に開始するはずだったバルバロッサ作戦(対ソ連侵攻作戦)が6月22日に延期され、その年の10月には、例年より早く訪れた「冬将軍」にドイツ軍は悩まされ、当初予定していた電撃作戦が失敗に終わるという代償を払わされたのだ。
去年8月23日のブログでも少しふれたが、何しろイタリア軍は弱かった。
1939年3月にドイツがチェコを併合したのに便乗して、翌4月にアルバニアを占領したところまでは順調だった。
しかしその後がよくなかった。
新英政策をとっていたギリシャを足掛かりにイギリス軍が攻めてくるのを危惧したムッソリーニは、1940年10月、軍勢をアルバニアからギリシャ領内に進めたが、国境の山岳地帯に行く手を阻まれ、さらにはギリシャ軍の予想を超える激しい抵抗にあい、ギリシャ領内から撃退させられてしまった。その上、アルバニア領内に侵攻してきたギリシャ軍によって、アルバニアの南半分まで失うという大失態まで演じてしまったのだ。
そこで慌てたムッソリーニは、ヒトラーに助けを求めたという次第だ。
ここで前々回のブログで紹介したアメリカの調査機関のアンケート結果を思い出した。
「一番まじめに働かない国は?」という質問に、ギリシャ人は「イタリア」と回答している。
ギリシャ人たちは、「強国ドイツに負けたのは仕方ないが、イタリアには負けていない」という気概があるのかもしれない。
さて、次に2行目。ここでヘルダーリンが出てくるが、これについては次回に。
(次回に続く)