2013年6月30日日曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(14)

平成24年9月7日(金)続き
帰りの列車の時間も近づいてきたので、ドーム広場から駅の方に向かって歩きはじめた。

駅に行くまでの間にも見どころはいくつかある
ひとつは、現在のチューリンゲン州首相官邸。


この建物の「青の間」は、1808年にナポレオンの招きに応じたゲーテがナポレオンに謁見したという由緒ある場所。
その時、ナポレオンは、「見よ、人間だ」と思わず声をあげ、ゲーテに『若きウェルテルの悩み』を7回も読んだと言ったそうだ。

ゲーテも20年ほどあとにこの時のことを懐かしんでいる。

「敬礼!ナポレオンは、陣中の図書のなかにいかなる本を持っていたと思う?-私の『ヴェルテル』だ!」
「彼が、その本をよく研究していたことは、」と私(エッカーマン)はいった、「エルフルトで彼の朝の謁見ぶりでも分かりますね。」
(『ゲーテとの対話(中)』エッカーマン著 岩波文庫P107 1829年4月7日)

ふたつめは州首相官邸の近くにあるダッヘレーデン家の建物。
ここはゲーテ、シラー、フンボルト兄弟など世界的著名人が集うサロンだった。


ダッヘレーデン家の前からアンガー広場につながるアンガー通り。
この通りはブランド店が並んでいて、エアフルトの中でも特ににぎやかなショッピングストリートのようだ。ウィンドショッピングを楽しんでいる人もいるし、オープンカフェで午後のひと時をくつろいでいる人もいる。
それにあちこちで道路の補修工事をやっているので、市もこのあたりの整備にお金をかけているのだろう。


こういった旧東ドイツの街のにぎわいをみていると、本当に西と東の格差があるのだろうか、と思ってしまう。
確かに失業率などのデータを見ると依然として東西の格差は大きいが、こうやって街の様子を見ると、店にはモノがあふれ、人々は楽しそうに飲み、食べている。

ただ、一つ違うのは、旧東ドイツの街はある程度大きな都市であっても、西と比べて街の雰囲気が落ち着いているということだ。
それは、旧東ドイツ時代、都市開発に資金を投入しなかったおかげで、昔ながらの建物が残されたことも大きな要因のひとつだろう。石畳の道も街のあちこちに残っている。
ドイツ統一後、西の資本が入ってきたが、新しいブランド店も、アメリカ資本のチェーン店のカフェもマクドナルドも古い建物の中にすっぽり収まっている。

エアフルトのような中都市だけでなく、この前の年に行った旧東ベルリンやドレスデンのような大都市でも、せわしなさやゴミゴミした感じはない。
旧東ベルリンに行った時は、一度だけ夜に旧西ベルリンに足を踏み入れたが、あまりにネオンがまばゆく、人通りも多く、せわしなさを感じたので、違和感を覚えてすぐに東側にもどってしまった。
大都市の住人である私でさえ、旧東ドイツの街の落ち着いた雰囲気に慣れてしまうと西側の街は受け付けなくなってしまうようだ。

この違いは果たして「格差」なのだろうか。いやそうではなく、これはもはや発展のしかたの「違い」であり、東は統一から20年経過して、ゆるやかに落ち着きのある発展を遂げつつあると言えるのではないか。
そんなことを考えながら急ぎ足で駅前通りを駅に向かった。

そんなぼんやりとした考えが、はっきりとしたものになってきたのは、フランクフルトに着いてからであった。フランクフルトでは、旧東ドイツの落ち着きのある街に完全になじんでしまったことを、あらためて感じさせられた。
(次回に続く)