今回は東京藝術大学大学美術館で開催中の「夏目漱石の美術世界展」です。
ドイツに留学した森鷗外と違いロンドンに留学した夏目漱石とドイツとのゆかりはありませんが、今回は例外ということでおつきあいください。
(今回撮影した写真は美術館より特別な許可を得て撮影しています)
エントランス風景。
初めに、この展覧会の企画・構成担当の東京藝術大学大学美術館 古田亮准教授から、見どころと主な出展作品についての解説をいただいた。
「今回の展覧会は漱石の頭の中に入る企画です。つまり漱石の頭の中の絵画的イメージがどのように小説に現れているか見てください」
今まで私の頭の中でぴったりと合わさっていなかった漱石と絵画。この二つが会場の中でどうコラボしているのか、いやがうえでも期待は高まっていく。
(古田准教授は琳派とクリムトやマチスを比較する展覧会を企画された方だというのを、著書『俵屋宗達』(平凡社新書 2010年)で知りました。『俵屋宗達』おもしろかったです)
実を言うと、私の頭の中では漱石=文明批評家というイメージだけが定着していた。
作品の中で特に印象に残っているのは『それから』の主人公 代助が友人の平岡と酒を酌み交わすシーン。
代助は三十歳になっても定職をもたず父からの援助で毎日ぶらぶらしていた。
そこで問い詰める平岡に代助が反論する。
「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係がだめだから働かないのだ」
「日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」
「日本の社会が精神的、道義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣る事はいくらでもあるからね」
(新潮文庫『それから』P87~P89)
明治維新以降の行き過ぎた近代化、西洋化を痛烈に批判した漱石。そして日本の行く末を案じていた漱石。
こういう所はよく覚えていても、美術作品に関する記述の部分は、きっと本筋には関係ないと思って読み飛ばしていたのだろう。
実際に会場の中で絵の解説を読んでみると、こんなに多くの絵が漱石の作品の中にちりばめられていたのだ、とあらためて驚く。
『坊ちゃん』 ターナーの松(「金枝」)
『草枕』 伊藤若冲の鶴(「鶴図」)
『こころ』 渡辺崋山の最後の画(「黄粱一炊図」)
『それから』 円山応挙の屏風(今では掛け軸になった「花卉鳥獣人物図」)
『門』 岸駒の虎(「虎図」)
などなど。
日本の西洋化を批判した漱石ではあるが、美術作品に関していうと、洋の東西を問わずバランスよく作品を評価している(上に挙げた作品の中に日本画が多いのは私の趣味です)。
展示場風景。
実際に「見たから読みたくなった」という気にさせてくれる不思議な展覧会だ。
この展覧会は7月7日(日)までで、その後は静岡県立美術館で7月13日(土)から8月25日(日)まで巡回展が開催される。
渡辺崋山の「黄粱一炊図」は東京会場のみで、他に展示替えもあり、この展覧会のためにわざわざ制作された作品も二点ある(酒井抱一作として『虞美人草』に出てくるが架空の作品「虞美人草図屏風」、『三四郎』に登場する原口画伯の作品「森の女」)。
見どころいっぱいのこの企画。
おススメです。