2019年10月20日日曜日

江戸東京博物館 特別展「士 サムライ-天下太平を支えた人びと-」

一枚の写真に納まる精悍な面構えのサムライたち。きりっとした顔つきながらも、どこか悲壮感が漂っているのはなぜなのでしょうか。



東京・両国にある江戸東京博物館では、サムライたちの生き様に焦点を当てた特別展「士 サムライ-天下太平を支えた人びと-」が開催されています。

【開催概要】
会 期  9月14日(土)~11月4日(月・休)
開館時間 9:30~17:30(土曜日は19:30まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日  毎週月曜日(ただし11/4は開館)
観覧料(税込) 一般 特別展専用券 1,100円 特別展・常設展共通券 1,360円
公式サイトはこちら→https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

展示はプロローグに始まり、5章構成になっていて、エピローグでフィニッシュ。
それでは、さっそく江戸時代のサムライたちに会いに行きましょう。
展覧会をご案内いただいたのは、今回の展覧会を担当された同館学芸員の小酒井さんです。
※展示室内は一部を除き撮影禁止です。掲載した写真は内覧会で主催者より特別の許可をいただいて撮影したものです。

プロローグ 都市のサムライ

展示室に入ってすぐ見えてくるのは、右隻に両国の川遊び、左隻に上野の花見の様子が描かれた色鮮やな金屏風《上野花見・両国川遊図屏風》。

《上野花見・両国川遊図屏風》(江戸東京博物館)

こちらは江戸時代前期の上野や隅田川の様子を描いた作品。
何人もの人物が描かれていますが、ここでは人物が差している刀の数に注目したいです。
サムライは二本差し、お供と思われる物は一本差し、といった具合に描き分けられているのです。まずはここで今回のテーマ「江戸時代のサムライたち」をイメージしていきましょう。

展示室内には撮影OKの作品もいくつかあります。この《上野花見・両国川遊図屏風》もその一つ。「撮影OK」のマークが目印なので来館記念にぜひ一枚!



第1章 士 変容-武人から役人へ-

徳川政権の始まりは何と言っても慶長5(1600)年「天下分け目」の関ヶ原の戦い。
下の写真右の《関ヶ原合戦図屏風》には、東軍、西軍の武将たちが細かく丁寧に描かれています。

そして徳川幕府の基礎を盤石なものにしたのは、豊臣家を滅ぼした大坂冬の陣(慶長19(1614)年)と大坂夏の陣(慶長20(1615)年)。
下の写真左の羽織は、大坂夏の陣で勲功をあげた今村正長に徳川家康が下賜した羽織。葵の御紋が燦然と輝いています。

右 《関ヶ原合戦図屏風》翫月亭峩山模写
(関ヶ原町歴史民俗資料館)
左 重要文化財《萌葱地葵紋付小紋染羽織》
(江戸東京博物館)
いくさでは兜や鎧に身を固めた武将たちだけでなく、主人とともに戦ったり、合戦に必要な物資を運んだりした雑兵(ぞうひょう)たちの活躍も重要でした。
雑兵にも階層の違いがあって、それは身につけているものでわかりました。ぜひ見比べてみてください。

右《諸卒出立図巻》、左《雑兵物語》
(いずれも東京国立博物館)


第2章 士 日常-実生活のあれこれ-

参勤交代などの諸制度を整備して幕藩体制を確立したのは第三代将軍徳川家光。
ここでの注目は参勤交代によって定期的に江戸に居住することになった大名家臣たちの日常生活を生き生きと描いた《久留米藩士江戸勤番長屋絵巻》(後期は複製)。

《久留米藩士江戸勤番長屋絵巻》(複製)
(江戸東京博物館)
楽しみにしていた帰国間近に帰国延期を告げられ暴飲している場面まであって、当時の武士たちの気持ちがよくわかる絵巻です。

もう一つの注目は、幕末期に来日した写真家フェリーチェ・ベアトが撮影した写真と、明治初期に撮影された大名屋敷などの写真。


冒頭紹介したサムライたちの写真はベアトが撮影したもので、彼らは生麦事件(文久2(1862)年)が発端となってイギリス艦隊と薩摩藩の砲台が交戦した薩英戦争(文久3(1863)年)後の後処理に向かう使者たちだったのです。
重大な使命を担った彼らの緊張感が伝わってくるようです。

「ベアトの写真は風景の中にサムライたちがいるものをセレクトしました。」と小酒井さん。サムライたちの面構えをぜひご覧になってください。

時代劇の主人公たちのコーナーもあります。

まずは大岡忠相(大岡越前)に関係する資料。
裁きの前に髭を抜きながら思考したと伝えらえる大岡越前。
その時に使った鑷(=毛抜き)まで展示されています。


その隣が遠山景元(遠山の金さん)に関係する資料。
晩年の金さんの姿や、痔を患っていたため馬で登城することができず、駕籠での登城を願い出た文書まで展示されていて、テレビではかっこいい金さんの人間的な面もしのばれます。


第3章 士 非常-変事への対応-

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたほど、建物が密集して人も多かった大都市・江戸では水害も大きな脅威でした。
いくさがなくなった天下太平の時代になって、サムライたちが存在感を示す絶好の機会が災害時。

《江戸幕府所持船図巻》は、さながら幕府主催の観艦式。
中央の大きな船は、火事や水害時に出動する「快速艇」。

《江戸幕府所持船図巻》(江戸東京博物館)

第4章 交流-諸芸修養と人材交流-

武家諸法度に定められているように、江戸時代のサムライたちには「文武両道」が求められました。武芸だけでなく学問も重視され、そこで設けられたのが昌平坂学問所。

下の写真は、昌平坂場公文所の平面図《昌平坂学問所惣絵図》(江戸東京博物館)。


第5章 一新 -時代はかけめぐるー

約260年続いた江戸幕府も、いよいよその終焉の時を迎えます。
こちらは幕末期の大砲。
明治になってからは正午を知らせる空砲を発射していたので《午砲(ごほう)》(江戸東京たてもの館)と呼ばれました。《午砲》は撮影可です。


そして慶応4年(明治元年 1868年)の江戸無血開城に尽力した三人の幕臣、勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟のコーナーが続きます。三人とも雅号に「舟」が用いられているので「幕末の三舟」と呼ばれています。

一番有名なのは東征軍の江戸総攻撃前に参謀・西郷隆盛と直談判して江戸無血開城を実現した勝海舟。
中央の書額《海舟書屋》(江戸東京博物館)は、佐久間象山宅にかけられていたもので、「海舟」の号はこれにちなんでいます。

続いて高橋泥舟の進言で駿府まで進軍してきた東征軍の西郷隆盛と交渉にあたり、幕府の降伏条件を提示した山岡鉄舟。
ここでは勝海舟が西郷隆盛に宛てた書状を入れたとされる革製の小袋《鉄舟胴乱》(全生庵)に注目です。



エピローグ サムライ、新たな生き様

明治維新後の西洋の人たちの日本に対するイメージは「サムライ」。
日本の軍人が洋装に移行するのに対して、来日した西洋人たちが好んで自国への土産としたのは自分たちの和装像。
こちらは観光地などでよく見かける顔はめ看板のような《和装西洋男女図》(江戸東京博物館)。撮影可の作品なので、並んで記念撮影ができます。


江戸時代のサムライを知るならこの一冊。展覧会の図録(2,130円+税)です。


ロビーには撮影コーナーがあります。
江戸時代を生き抜いたサムライといっしょにぜひ一枚!



会期は11月4日(月・休)までなのでお早目に。
常設展示とあわせてゆっくり時間をとって見たい展覧会です。



2019年9月23日月曜日

泉屋博古館分館「文化財よ、永遠に」

東京・六本木の泉屋博古館分館では住友財団修復助成30年記念「文化財よ、永遠に」が開催されています。


「文化財よ、永遠に」は、これまでに1000件を越える国内外の文化財修復事業に対し助成を行ってきた公益財団法人住友財団が、2021年に創立30周年を迎えるのを記念して開催される展覧会で、助成によって修復された文化財の一部が東京国立博物館、九州国立博物館、泉屋博古館(京都)、そしてここ泉屋博古館分館(六本木)で同時期に展示されます。

全国4会場で同時期開催
 京都・鹿ケ谷 泉屋博古館   9月6日(金)~10月14日(月・祝)
 東京・上野  東京国立博物館 10月1日(火)~12月1日(日)
 福岡・大宰府 九州国立博物館 9月10日(火)~11月4日(月・振休)

【泉屋博古館分館の開催概要】
会 期  9月10日(火)~10月27日(日)
 前期 9月10日(火)~9月29日(日) 後期 10月1日(火)~10月27日(日)
 前期後期で展示替えがあります。
開館時間 10時~17時(入館は16時30分まで)
 ※10月11日(金)のみ10時~18時(入館は17時30分まで)
休館日 月曜日
 (9/16、9/23、10/14は開館、9/17、9/24、10/15は休館)
入館料 一般 600円ほか
ギャラリートークはじめ関連イベントもあります。詳細は公式サイトでご確認ください。

展覧会チラシ(表面)

さて、それではさっそく展覧会の様子を紹介していきましょう。
※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
※展示室内は、泉屋博古館分館の野地分館長、泉屋博古館学芸員の竹嶋さんにご案内いただきました。

今回の展覧会のテーマは、文化財の美しさを永遠に伝えていくこと。
美しくよみがえった展示作品を見て、地道な修復作業によってその美しさを永遠に伝えていくことがいかに大変なことなのか、あらためて実感しました。


第2会場展示風景

「高温多湿な日本で、傷みやすい絹と紙が素材の日本絵画を保存するのは大変なこと。空気に触れると劣化する日本絵画を、保存と活用(一般公開など)を両立させながら良い状態で後世に伝えていくのが私たちの義務。」と野地分館長。

痛みやすい素材を使った日本絵画ですが、さらに掛軸の場合、その宿命は巻くことによる「折れ」。

仏画がご専門の竹嶋さん。
「折れているのは絹の裏の紙。絹は伸ばせるので、水で濡らして肌裏紙という絹の裏に貼ってある紙をほぐしてピンセットではがしていくのです。」
そして紙を貼り換えたり、「折れ付箋」という細長い紙を貼ったりといった根気のいる作業をするのです。

展覧会チラシ(裏面)


さらに絵画の敵はカビ。

修復前に燻蒸をするのですが、それでも残っているカビは筆で払って吸引器で吸い込む作業を行うとのこと。

右 《雪景山水図》(栃木・鑁阿寺) 通期展示、
左 伝・蛇足《山水図》(群馬県立近代美術館
(戸方庵井上コレクション))(重要文化財)
前期展示

今回の展示では、作品はもちろんのこと、作品の修復過程や、修復前と修復後が比較できる展示パネルにも注目です。


ロビー展示風景
右 《草虫図》(山口・菊屋家住宅保存会) 通期展示、
左 伝・王淵《立花図》(滋賀・聖衆来迎寺)
前期展示
上の写真の左の作品《立花図》は花瓶が黒ずんでいたのですが、肌裏紙を変えただけでガラス製と思われる花瓶の透明感がよみがえってきたのです。
左のパネルの修理前の画像と比較すると修理後との違いがよくわかります。
目の前で見てみると、透き通った花瓶の中の水や花の茎がきれいに描かれているのがわかります。

伝・王淵《立花図》(滋賀・聖衆来迎寺)
前期展示


円山応挙の《淀川両岸図巻》も、とても250年以上も前のものとは思えないほど鮮やかな色が出ています。

円山応挙《淀川両岸図巻》
(東京・アルカンシェール美術財団)
前後期で巻替え
野地分館長が冒頭のごあいさつでお話されていました。
「日本の絵画は、数百年に1度、修復を行うのがルールです。」

ということは次の修復作業は数百年後。
今が旬の文化財をぜひこの機会にご覧になってください。

ロビーでは修復作業のビデオが流れています。参考までにこちらもぜひ。

図録もおススメです。
作品の図版はもちろんのこと、修復作業の様子や、修復の行程の解説も詳しく、190ページもあってこれで税込1,200円。お買い得です!


最後になりますが、野地分館長から休館お知らせがありました。
泉屋博古館分館は、改修工事のため来年の1月から休館になり、2022年春にリニューアルオープンする予定とのこと。
しばらく展覧会が見られなくなるのは少し残念ですが、泉屋博古館分館が2年半後にどのように生まれ変わるのか、今から楽しみです。

2019年9月19日木曜日

山種美術館「大観・春草・玉堂・龍子-日本画のパイオニア-」

東京・広尾の山種美術館では広尾開館10周年記念特別展「大観・春草・玉堂・龍子-日本画のパイオニア-」が開催されています。


近代日本画を代表する横山大観、菱田春草、川合玉堂、川端龍子の足跡を山種美術館所蔵作品で綴る豪華なラインナップの展覧会です。


【展覧会概要】
会 期  8月31日(土)~10月27日(日)
開館時間 午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日(ただし9/16(月)、9/23(月)、10/14(月)は開館、9/17(火)、9/24(火)、10/15(火)は休館)
入館料 一般 1200円ほか
展覧会の詳細は山種美術館公式ホームページをご覧ください→http://www.yamatane-museum.jp/

※今回展示されている作品はすべて山種美術館所蔵です。
※内覧会では、山下裕二さん(公益財団法人山種美術財団評議員、山種美術館顧問、明治学院大学教授)のスライドを使った見どころ解説と、同館特別研究員の三戸さんのギャラリートークをおうかがいしました。以下はお二人のお話をもとに構成しています。
※展示室内は原則撮影禁止です。掲載した写真は美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
今回写真撮影OKの作品は横山大観《心神》。山種美術館の創設者山﨑種二氏が、美術館をつくるならという条件で大観から購入を許可された作品です。


横山大観《心神》(1952(昭和27)年)
さて、さっそく展示室内をご案内しましょう。展示は春草、大観、龍子、玉堂の順に1章ずつの構成になっています。

第1章 菱田春草

最初は、数えで39歳の誕生日を目前に若くして亡くなった菱田春草(1874-1911)。

第1章展示風景
手前が菱田春草《釣帰》(1901(明治34)年)

展示室入口でお出迎えしてくれるのは菱田春草《釣帰》。

「空気を描く方法はないか」という岡倉天心からの課題に応えようとして描いたとされる彼らの作品は「朦朧」という揶揄する表現で批判されましたが、今見てみると「この空気感がたまらない!」と感じられます。
当時でも1904(明治37)年にアメリカで「大観・春草展」を開催したら大好評で、作品は飛ぶように売れたそうです。

「手前に描かれた船頭の顔がかわいい。」と山下さん。
まるで少年のような船頭さん。ぜひ近くでご覧になってください。

春草のパイオニアたる所以(ゆえん)は、大観らとともに墨による輪郭線を描かない「朦朧体」に挑戦したことですが、春草の中でも変化がありました。


左から、菱田春草《雨後》(1907(明治40)年頃)、
《初夏(牧童)》(1906(明治39)年)、
《月下牧童》(1910(明治43)年)
この順番で展示されていることに意味があります。
空気の表現方法が《雨後》は色で、《初夏(牧童)》は色と面で表現していたものが、《月下牧童》では筆による表現に変わってきたのです。《月下牧童》の後ろの細い筆で描かれた草に注目です。
「朦朧体のbefore and afterです。」と三戸さん。(笑)

《月四題》が4幅ともそろっています。ぼんやりと描かれた月と草花が絶妙なコンビネーションです。
菱田春草《月四題》(1909-10(明治42-43)年頃)


第2章 横山大観

次は横山大観(1868-1958)。
大正期に入ると朦朧体から離れて東洋的な水墨画に回帰していった大観。
まずは雪舟の《山水長巻》(毛利博物館)を意識した《楚水の巻》です。

横山大観《楚水の巻》(1910(明治43)年)(部分)
乾燥した華北の風景を描いた《燕山の巻》(山種美術館)(今回は展示されません)と並んで大観の中国山水画の二大絵巻の一つが、中国江南地方の風景を描いたこの《楚水の巻》。

河岸沿いに並ぶ家と階段にたたずむ人たちがいい雰囲気を出しています。
こちらも細かいところまでぜひご覧になってください。

横山大観《楚水の巻》(1910(明治43)年)(部分)
さて、大観のパイオニアたる所以(ゆえん)は。
「画材への挑戦です。」と三戸さん。

横山大観《喜撰山》(1919(大正8)年)
紙の裏から金箔を貼りつけた裏箔の技法を用いて、宇治の赤土の色合いを出しています。
「古い技法で新しい発想を表現するのが大観。」と三戸さん。

昭和に入ると、愛国心を象徴した作品が多くなります。
下の写真中央の《春朝》に描かれているのは日本の象徴、山桜と太陽。
《蓬莱山》に描かれた松と雲に浮かぶお堂は、大観たちが一時滞在した北茨城の五浦の海岸を連想します。
右から、横山大観《龍》(1937(昭和12)年)、
《春朝》(1939(昭和14)年頃)、
《蓬莱山》(1939(昭和14)年頃)

そして、これがなければ大観じゃない!
生涯で描いた作品が1,200点とも2,000点とも言われる富士山です。

左から、横山大観《富士山》(1933(昭和8)年)、
《霊峰不二》(1937(昭和12)年)、
《心神》(1952(昭和27)年)

第3章 川端龍子

川端龍子(1885-1966)の作品といえば、やはり迫力の大画面。
「会場芸術」と批判されたのに、その表現が気に入って自分でも使うようになった龍子らしい作品がこちら。

川端龍子《鳴門》(1929(昭和4)年)
その大胆な発想と色使いで横山大観らが中心となっていた院展から浮いた存在になって、ついに院展から脱退したのが1928(昭和3)年。
その翌年に「青龍社」を創設して、第1回展で発表されたのがこの《鳴門》。
近くで見ると波しぶきをかぶりそう。それ以上に、自らの道を貫き通そうとする龍子の心意気が感じられます。

そしてもう一点は《八ツ橋》。

川端龍子《八ツ橋》(1945(昭和20)年)
尾形光琳《八橋図屏風》(メトロポリタン美術館)の影響を受けた上品な作品ですが、太平洋戦争末期、空襲の中をかいくぐって青龍展を開催してしまう龍子の気迫を感じます。

「古典に拠りつつも、ひねりが入るのが龍子流。」と三戸さん。

川端龍子《華曲》(1928(昭和3)年)
牡丹と獅子という古典的なテーマを描いているのに、蝶々に夢中で逆さになって首をひん曲げている獅子のおかしなポーズに注目です。

そして龍子のもう一つの特徴が「タイトルと絵の微妙なずれ」(三戸さん)。

下の写真の《月光》は、日光山輪王寺の大猷院に取材したもので、タイトルは《月光》なのに月は屋根の上からのぞいているだけ。建物に映える月の光で「月光」を表現しているのです。

川端龍子《月光》(1933(昭和8)年)
第4章 川合玉堂

夕日に映える山あいの景色、ここに薪を背負って家路に向かう農夫がいたらバシッと決まるだろうなと思って絵を見てみると、やっぱりそこには薪を背負った農夫がいる。
川合玉堂(1873-1957)は、私にとって「ほっとさせてくれる」風景を描いてくれる画家なのです。

最初は京都の幸野楳嶺のもとで学び、その後、橋本雅邦の作品に大きな衝撃を受けて京都から東京に出てきて雅邦に師事した玉堂。
この作品は、雅邦の影響を大きく受けていますが、中国山水画の影響はあっても、描かれた人物は日本的で、山並みも妙義山でのスケッチをもとにしているので実景っぽいところが玉堂。
「中国山水画を日本的なものに変えたのが玉堂です。」と三戸さん。

川合玉堂《渓山秋趣》(1906(明治39)年)


「人を驚かせるのが大観なら、人と共感できるのが玉堂。」と三戸さん。
まるで絵はがきのような大胆な構図の《石楠花》。
こういった作品を見たら、このきれいな石楠花と雪山を見に山登りがしたい!と思いたくなります。

川合玉堂《石楠花》(1930(昭和5)年)
第2展示室は、大観、玉堂、龍子の「松竹梅展」のコーナー。
戦前は仲たがいした大観と龍子ですが、戦後になると交流が復活した二人。
それでも顔を合わせても話すことがなかったので、二人でひたすらジョニーウォーカーを飲み交わしていたという逸話があったそうです。

1955(昭和30)年から1957(昭和32)年にかけて3回開催された「松竹梅展」。山種美術館では、そのうち第1回と第3回の松竹梅を所蔵しています。

第1回《松竹梅》のうち
右から川合玉堂「竹(東風)」、横山大観「松(白砂青松)」、
川端龍子「梅(紫昏図)」



第3回《松竹梅》のうち、
右から、川端龍子「竹(物語)」、川合玉堂「松(老松)」、
横山大観「梅(暗香浮動)」

展示されている作品にちなんだ和菓子も山種美術館のお楽しみの一つです。
下の写真、中央が「朝の光」(横山大観《富士山》)、右上から時計回りに「錦秋」(川合玉堂《渓雨紅樹》)、「しらなみ」(川端龍子《鳴門》(左隻))、「月下の柳」(菱田春草《月四題》のうち夏)、「葉かげ」(横山大観《作右衛門の家》)。(カッコ内はモチーフになった作品)
どれも美味ですが、どれか一つとなると、個人的にはふわふわ感のある淡雪羹の「しらなみ」でしょうか。

アプリゲーム「明治東京恋伽~ハヰイカデヱト~(通称「めいこい」)と山種美術館とのコラボレーション第2弾も実現!


グッズも充実しています。
今回の新作は川端龍子《鳴門》と《八ツ橋》のマスキングテープ(各400円+税)。
どこにでも貼りたくなりそうです。


今回もいろいろ盛りだくさんで楽しめる展覧会です。
パイオニアたちの挑戦をぜひご覧になってください!

2019年9月17日火曜日

リニューアルオープンした大倉集古館で特別展「桃源郷展」が始まりました!

東京・虎ノ門にある大倉集古館が9月12日(木)にリニューアルオープンしました。
改修のため5年半休館していたので、あの中国風の建物はもう見られないのかな、と思いつ
つ近くまで来てみると、見えてきました!あの懐かしい建物が。



外見を見てホッとしたところで周囲を見渡してみると、今までとは違って水辺もあって広々としたようなたたずまい。

展示を見終わって日も暮れて外に出て見る夜景もまた格別。
うしろには高層ビルも見えるので、中国の西安か上海のような大都市に紛れ込んだ気分。



今回のリニューアルでは、大倉集古館をこの地域のランドマークとするため、建物そのものを曳家工事で後ろに移動させて、地下に事務室や収蔵庫をつくり、前に広々とした水場を新設したとのこと。そして、地震対策のため地下に免震層を設置したとのことです。
建物自体が免震台の上に乗っているようなものなので、地震になっても展示作品も来館者も安心ですね。

さて、今回はリニューアル記念ということで特別展はおめでたいタイトル。
それに中国とも深いかかわりのあるテーマです。

大倉集古館リニューアル記念特別展「桃源郷展-蕪村・呉春が夢みたものー」

展覧会概要
会 期  9月12日(木)~11月17日(日)
 前期 9/12-10/14 後期 10/16-11/17
 (前期後期で展示替えがあります→作品リスト) 
休館日  毎週月曜日(祝日は開館し、翌日休館)
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料  一般 1300円ほか
関連イベントもあります。詳細は公式ホームページをご覧ください。



さて、さっそく会場内をご案内していきましょう。
今回ご案内いただいたのは、大倉集古館主任学芸員の田中知佐子さん、そして同館学芸部顧問に就任された安村敏信さん。あの「萬(よろず)美術屋」の安村さんです。

※会場内は撮影禁止です。掲載した写真は内覧会で特別に許可をいただいて撮影したものです。

1階正面の入口から入ってエレベーターで2階に上がります(←エレベーターも新設されました!)。

展覧会のタイトルが「桃源郷展」なので、展覧会のチラシも桃の形がデザインされていて、チケットも桃のかたち。


展示の章立ても桃一色です。

第一章 呉春「武陵桃源図屏風」-蕪村へのオマージュ-
第二章 桃の意味するもの-不老長寿・吉祥-
第三章 「武陵桃源図」の展開-中国から日本へ-

第一章では、同館がアメリカのパワーズ・コレクションから購入した新収蔵品の呉春《武陵桃源図屏風》を中心に、呉春とその師・蕪村が描く武陵桃源郷の作品が展示されています。


呉春《武陵桃源図屏風》(大倉集古館)
全期間展示
呉春がこの作品を描いたのは35歳くらいのころ。ちょうど師・蕪村が亡くなった時期と重なります。
「この作品は呉春の師・蕪村への思いが反映されているのでは。」と主任学芸員の田中さん。「右隻の若い漁夫は呉春本人、左隻の正面を向いた老人は陶淵明。陶淵明の姿に敬愛する蕪村への深い思いが重ね合わされていると思われるのです。」

桃源郷といえば陶淵明(365-427)の「桃花源記」に記されている理想郷。

右隻には桃の林が続く小川を漁師が船で上って行く場面が描かれています。

「桃花源記」ではこう記されています。(以下、あらすじです。)
時は東晋・孝武帝の太元年間(376-394)、一人の漁師が谷川に沿って船を漕いでいると、桃花の林に出逢い、川の両岸には桃以外の木は一本もなく、芳しい花が咲きほこり、花びらがひらひらと舞い落ちていました。

林の奥まで見届けようとした漁師はそのまま川を上っていくと、水源のところで林が尽きて、そこにあった山にあった小さなトンネルに入ってしばらく行ってたどり着いたのが「桃源郷」。

左隻には桃源郷で木の下に語らう老人たちの姿が描かれています。

「桃花源記」では桃源郷の様子がこう記されています。
そこには立派な家が立ち並び、よい田畑、美しい池、桑や竹の類があって、鶏や犬の声が聞こえ、老人や子どもまでみなにこにこして楽しそう。
そこで歓待を受けた漁師が村の人たちと話していると、先祖が秦の時の戦乱を避けてこの人里離れた山奥にやってきて、漢も、魏も晋も知らないという。

展示されている与謝蕪村の《桃源郷図》には、漁師が船に乗ったまま小さなトンネルに入ったり、桃が咲いているという記述がないのに桃源郷に桃の木があって花が咲いていたりなど、画家が想像で描いた世界を見てみる楽しさもあります。
呉春の《武陵桃源図屏風》でも桃源郷に桃の木が描かれています。

「桃花源記」はそのあとも続きます。
数日して帰るときに、この地のことは他の人に言わないようにと告げられていたのに、帰りにところどころ目印をつけて、戻った後、郡の太守に告げたところ、太守が人を遣わせて漁師とともに目印に沿ってたどって行ったが道に迷ってしまった。

陶淵明は詩作をしながら酒を友とする悠々自適の生活を送ったとされていますが、実際には苦労の連続でした。
没落した貧困家庭に育った陶淵明は、若いころから文章の才能があり、生活のため官職に就きますが、組織にはなじめなかったようで任退官を繰り返し、晩年は、病苦と生活苦に悩まされました。

陶淵明の現存する詩作は意外と少なく、詩124編、文12編だけですが、その全編が岩波文庫『陶淵明全集(上)(下)』の二冊に収められています。ぶ厚い何冊もの高価な「全集」でなく、文庫で「全集」を読むことができるのがうれしいです。


全作品の原文に訓読文、注、現代語訳があるのでとても読みやく、現実社会とのつきあいに苦しみ、悩みながらも、隠遁生活を実現して、酒を愛し、清貧を貫いた陶淵明の姿が作品や解説から浮かび上がってきます。


第二章では、桃が描かれた中国の絵画や工芸が展示されています。
「ここでは桃源郷や不老長寿・吉祥としての桃が中国ではどのように描かれていたのか見ていただきたいです。」と安村さん。
うしろの中国風の格子窓も健在でした。


第三章では蕪村・呉春以降に日本で桃源郷が描かれた作品が展示されています。
「日本では吉祥といえば桃でなく梅や梅林。桃を意匠化した工芸作品は少ないのです。」と安村さん。谷文晁《武陵桃源図》(個人蔵)や富岡鉄斎《武陵桃源図》(光明寺)(いずれも全期間展示)とともに、探すのに苦労されたという貴重な工芸作品、南紀男山焼の《染付桃源僊居図水指》(三井記念美術館)(全期間展示)もぜひご覧になってください。



1階に移ります。1階は特別展と同時開催の「大倉集古館名品展」が開催されています。
(特別展のチケットで入館できます。前期後期で展示替えがあります→作品リスト)

こちらは大倉集古館の顔ともいえる国宝《普賢菩薩騎象像》。
久しぶりにお目にかかることができました。
これからは今までのように常設しているとは限らないとのことなので、この機会にぜひ普賢菩薩さんの穏やかなお顔と象のひたむきな表情をぜひ拝見しておきたいです。

国宝《普賢菩薩騎象像》(大倉集古館)
全期間展示


こちらは同じく国宝の藤原定実《古今和歌集序》。いままでほとんど開かれていなかったため平安時代のものとは思えないくらいきれいな保存状態です。
《古今和歌集序》は前期展示、後期には国宝《随身庭騎絵巻》が展示されます。

国宝 藤原定実《古今和歌集序》(大倉集古館)
 前期展示(9/12~10/14)

大倉集古館が所蔵する国宝3件は、前期後期ですべて見ることができるので、後期も来たいです。

そしてこちらは大画面で豪華絢爛な横山大観の《夜桜》。

横山大観《夜桜》(大倉集古館)
全期間展示
《夜桜》は、ホテルオークラを設立した大倉喜七郎氏が支援して1930(昭和5)年にローマで開催された「ローマ日本美術展」に出品された作品。
この「ローマ美術展」は、横山大観、速水御舟、下村観山、安田靫彦、前田青邨、小林古径らの院展の画家、川合玉堂、竹内栖鳳、鏑木清方、上村松園などの官展の画家たちの作品177点が出展された大がかりな展覧会でした。

こちらも「ローマ日本美術展」に出品された作品です。
後期には前田青邨《洞窟の頼朝》(重要文化財)が展示されます。
右から下村観山《不動尊》、小林古径《木菟》、
速水御舟《鯉魚》
いずれも前期展示(9/12-10/14)

続いて今回のリニューアルで新設された地階に向かいます。
地階にはミュージアムショップ、広いロビーとその奥に映像コーナーがあります。

右の桃色の冊子が桃源郷展の図録(税込2,200円)。
桃源郷についての論文も充実していて、作品解説も詳しいので、これ一冊あれば「桃源郷通」になること間違いなし!
左の白い表紙の冊子は、約2,500件の美術・工芸品のコレクションから、1917年の開館から百周年を迎えたことにちなんで名品百件を厳選した『大倉集古館所蔵 名品図録百選』(税込3.300円)です。


ロビーには中国・清時代の仏像が展示されていて、奥の映像コーナーでは冒頭紹介した建物のお引越し「曳家工事」の様子も見ることができます。


古いものを残しつつ新しく生まれ変わった大倉集古館。
外観も展示も内装もぜひ楽しんでいただきたいです。