2012年1月9日月曜日

旧東ドイツ紀行(3)

11月12日(土) ベルリン市内

  ホテル「ラディソン・ブルー」
 大きな回転ドアを通ってホテルに入ると、建物の中は吹き抜けになっていて、明るい光が差し込んでいる。中心には円筒形の水槽があって色とりどりの熱帯魚がゆうゆうと泳いでいる。
 入口の右手にフロントがあり、そこに背の高いドイツ人の女性が5人ほど立っている。フロントといってもカウンター式でなく、一人につき一台、ボックスのような机がならんでいて、女性たちはそこでそれぞれの業務を完結させている。
(右の写真はホテルの内から出口の方を撮ったもの。水槽の下はバーになっていて、フロントはその先にある)

旧東ドイツ時代はパラストホテルと呼ばれた最高級ホテルであったが、統一後はアンバサダーホテルグループに買収され建て替えられたようだ。
1人1泊約1万4千円。宿泊費にたじろいで泊まろうかどうか迷ったが、旧東ベルリンの中心にあり、ブランデンブルク門も、アレキサンダー広場も、ペルガモン美術館も歩いて行ける範囲なので、思い切ってこのホテルを日本で予約した。

「チェックインお願いします」
私はいちばん右の接客をしていない女性に声をかけた。
 返ってきたのは少しはにかんだような笑顔。笑顔なんて旧東ドイツではなかったこと。
一通りの手続きを終えて、部屋のカードキーを受け取るとき、「エレベーターでこのカードを差し込んでください」と言う。
(えっ、部屋のドアでなくエレベーター?)と思い少し首をかしげると、
「やり方を説明しましょう」
と手招きしてエレベーターの前まで案内してくれた。
エレベーターの各階表示の下にカードリーダーがあり、そこにカードを差し込んで認証されないと各階のボタンを押しても動かないというしくみ。

「こうやるんですよ」
とカードキーをカードリーダーに差し込んで、すぐ上のランプが緑色に光ると、私が止まる2階のボタンを押してくれた。
心の中で、こんな高級ホテルに泊まったことないもんで、と言いながらお礼を言って2階に上がった。
2階といってもドイツの表示では1階。日本の1階はドイツでは地階(Erdgeschoss)となる。


右の写真は部屋のカードキー。ここにも水槽の写真が。






部屋に入ってザックを置き、ふーっと一息ついて時計を見ると、6時半を回っていた。さて、夕食でも食べに行くかと思ったところで、あらためて気がついた。ベルリンの壁の跡をはじめ行きたいところは事前に細かく調べたが、食事をどこでとるか、何を食べるかは全く考えていなかったのだ。

さてどうしようか。
せっかくドイツに来たのだからビールでも飲みながら何かつまめればいいや、寒いから近くですまそうと、とりあえずホテルを出てあたりを見回したら、ふと「DDR」という文字が目に入った。いくら旧東ベルリンとはいっても、なぜDDR?見間違えかと思い、もう一度ホテルの右側を見ると確かにある。

DDR博物館 DDRレストラン

 今回の旅の大きな目的の一つは、ドイツ統一から20年以上たって旧東ドイツがどう変わったか見ること。迷わず私はDDRという看板のある方に向かった。右の写真は入口。下の写真は、翌朝撮ったもの。シュプレー川沿いのテラスになっている。後ろは宿泊したホテル。


まずは博物館の方へ。
入口の売店兼チケット売り場のお兄さんに聞いたら、5年前にオープンしたという。
もうドイツ人にとって、DDRは保存する努力をしなければ忘れ去られてしまう存在なのだろうか。




入口を入ってすぐ目についたのが、東ドイツの国民車「トラバント」。東ドイツはこれなしには語れない。
生まれて初めて運転席に座ってみた。窮屈でおもちゃのような小さな車。

トラバントの本物もいいが、ミニカーがほしくて秋葉原をさんざ探し回ったがどこにも見当たらなかった。
ミニカー専門店で、
「トラバントありますか」
と聞いたら、
「何ですかそれ」と言われてしまった。
(一部のマニアでしか有名ではないので知らなくても仕方ないか)
ところが、DDR博物館のショップにはあった。私がほしかったのは上の写真と同じ白のトラバントだったが、カラーのとラリー車仕様しかなかった。それでも、探していたものがみつかったうれしさで、帰りに荷物がかさばることも気にせずその場にあった3台を全部買ってしまった。
しかし、あせる必要はなかった、翌日以降わかったことだが、市内にあるスーベニアショップにはどこにも売っていたので、白いトラバントも、一回り小さいのも買うことができた。おかげで帰りのザックはいっぱいになったし、荷物検査でもひっかかったが。


 次に見た展示はシュタージの取調室。
この写真だとわかりづらいが、椅子に座り、両手を机にある二つの穴に肘を置いて手のひらを両耳にかざすと、尋問する捜査官の声が聞こえる仕組みになっている。
声を聴いてみると、思わず「私がやりました」と言ってしまいそう。




次は拘置室。取り調べで拘束されている間はここで寝泊まりすることになる。
ベッドのシーツのしわがリアル。






他にも東ドイツの工業製品、子どものおもちゃ、日用品などが展示されている。

出口近くには政府の要人用の高級車。

国民にはおもちゃのようなトラバントをはじめ、必要最小限のモノを与え、体制にたてつくような言動をとったら取り調べを受け、拘置室に留置される。一方で一握りの特権階級の人たちは海外の高級車を乗り回す。
狭い空間にDDRの縮図が見てとれる。



そして出口は壊れたベルリンの壁の写真。ここから無事に壁の外に逃れることができる。



下の写真はDDR博物館のチケット。大人一人6ユーロ。土曜日は22時までオープンしている。








時計は8時を回り、さすがにおなかがすいてきたので博物館隣のDDRレストランへ。
店内は広く、若者の集団が入っていたが席は余裕があった。
これで「席はない(kein Platz)」と言われたら面白いな、などとくだらないことを考えてドアを開けると、ウエイトレスさんの「こんばんわ」という声とさわやかな笑顔。



席に着きメニューを見ると「野菜の料理」とあり、その中に「パラストホテル風卵のラグー(Eierragout》Palasthotel《)」とあった。どういったものだかわからないが、「パラストホテル」というネーミングが気に入ったのでこれを注文した。料理の説明書きに「野菜がのっていてマッシュポテトがついてる」とあったので変なものではないだろう。
ビールを飲みながら待っていると、出てきた料理がこれ。


マッシュポテトの上にゆで卵のスライスと野菜やグリンピースなどがのった、いたってシンプルなもの。もっと豪華な料理を期待していた人はがっかりするかもしれないが、野菜好きの私にとっては願ってもない料理。DDRの一般庶民にはポピュラーな料理との説明もあった。
ビールは、地元のベルリナー・ビュルガーブロイ(Berliner Bürgerbräu)。メニューには東ドイツ時代から人気があったとの説明がある。
期せずして最初の夜からDDRづくし。DDRの庶民の生活に思いをはせながら、ビールを飲み、ゆっくりと料理を味わった。

下の写真は店内の風景。




さて、レストランでのチップの払い方。
「お勘定お願いします」
と最初に対応してくれたり料理を運んでくれたウエイトレスさんに声をかける。ドイツの場合、レストランでは最初に対応した従業員がその客の担当となり、最後の精算まで行う。サービスの対価としてのチップも担当の従業員に払うしくみ。
マリアーネさんという名前のウエイトレスはレシートをもってきた。
一番下には英語で「チップは含まれていません」とはっきり書いてある。
会計は11ユーロ80セント。1割かけて12.98。13ユーロだとあまりにぎりぎりなので
「14」というと、マリアーネさんはにこっと笑って「Danke」。  



レストランを出てホテルまではわずか1分。
気温はだいぶ下がっているようだが、胃が満たされたせいかあまり寒さを感じなかった。
今日の最後に、車の中では撮れなかったテレビ塔をホテルの前から一枚。


(次回に続く)