2012年1月16日月曜日

旧東ドイツ紀行(4)

昨日(1月14日)、東京国立博物館の特別展「北京故宮博物院200選」に行ってきました。「清明上河図」も90分待って見ました。正確に言うと、86分待って、4分で見てきました。作品の前では、係員が「立ち止まらないでください。少しずつ左に動きながら見てください」と絶え間なく言っていたので、後ろの人に迷惑にならい程度にできるだけゆっくり動いたつもりですが、4分で見終わってしまいました。
それでもやはり実物を見た、という満足感はありました。日曜美術館を見たり、新聞に掲載された実物の写真で予習をしていたので、どういった場面が出てくるかわかっていて、ポイントを絞って見ることができたのもありますが、描かれた筆のタッチや、色使いを脳裏に焼き付けることができたからです。こうしておけば、細かいところは後で図録で見ても、実物と対照させて、こんな雰囲気だったなと思い出すことができます。
大きな絵巻物や襖絵、屏風画は見ていて飽きることがないので、ついつい長居してしまいます。欲を言えば、もう少し長く見たかったのですが、時間的な制約はあった方がいいのかもしれません。
以前、京都・妙心寺の隣華院が特別公開されたとき、方丈の襖に描かれた長谷川等伯の「山水図襖」を正座してじっくり眺め、他の部屋の襖絵を見ては戻ってきて、結局、1時間近くは隣華院にいました。切り立つ岩、遠くにかすんだ山々、滝を眺める高士、一つ一つの場面を見ていると時を忘れてしまいます。
桃山時代末期、新進気鋭の等伯が御所の障壁画の制作を依頼されたとき、すでに御用絵師としての地歩を築いていた狩野派の棟梁、狩野永徳が、等伯の台頭をおそれ、横やりを入れて阻止したのは有名な話です。等伯ファンの私にとって永徳はとんでもない絵師なのですが、そんな永徳の作品もじっくり見てしまいました。
2009年にサントリー美術館がNHK大河ドラマ「天地人」を記念して展示した「洛中洛外図屏風」です。そのときもやはり作品の前を行きつ戻りつして、また、他の展示品を見て戻ったりしながら、かれこれ1時間かけてじっくり眺めていました。祇園祭の山鉾の数々、金閣、銀閣、清水寺、北野天満宮など今でもおなじみの神社仏閣、道行く庶民の姿など、いくら見ても飽きません。

ドイツでも素晴らしい美術作品や古代の芸術作品の数々を見てきました。これも今回のドイツ旅行の大きな楽しみの一つでした。ドイツ滞在中はいくつもの美術館、博物館へ行ってきましたので、これから少しずつ紹介していきたいと思います。

11月13日(日) ベルリン
 ホテルの朝食は6時から。
6時前に起きて顔を洗い、1階(ドイツでは地階)のレストランに向かった。
レストランの中はまだ客はほとんどいなかったので、窓際の席に座る。
外はまだ暗く、シュプレー川の対岸のベルリン大聖堂はうっすらとしか見えない。

バイキング形式なので、好きなものを皿にとり、さて朝食。ご覧のとおり、ヨーグルトやジャム、チーズは種類が多い。フルーツもふんだんにあり、プレーンヨーグルトを上にかけた。パンも私好みの黒いパン。家でも毎週、ホームベーカリーでライ麦パンを焼いているので、黒系のパンがあるのはうれしい。ソーセージもためしにとってみた。コーヒーもポットでもってきてくれるので、おかわりごとに立たなくて済む。
しかし、野菜が圧倒的に少ない。きゅうりとトマト、それにトマトの上にチーズをのせて焼いたものだけ。ドイツは寒いのでもう野菜がとれないからなのだろうか。寒い国は大変だなと思いつつ、野菜不足の分はフルーツやジャムで補うことにした。
ゆっくりと朝食をとり、外を眺めながらコーヒーを飲んでいると、外はようやう明るくなってきた。時計を見ると7時15分。1時間以上朝食を食べていたことになる。なんとも贅沢な時間。
 右の写真はベルリン大聖堂。
以後2日間、この席が私の指定席(Stammtisch)となった。

この日はまず、行きたいところの位置を確認するためブランデンブルク門近くの観光案内所に行くことにしていた。





いい天気にもかかわらず、外はかなり寒い。最高気温が4℃の予想だから、まだ零度そこそこだろうか。
 ベルリン大聖堂の写真をとっていたら、急に大聖堂の鐘が鳴りだした。ここぞとばかりにカメラを動画モードにして撮影したが、このブログに張り付けることができなかったのが残念。







ウンター・デン・リンデン通りをブランデンブルグ門の方向に向かって歩いていたら、「アエロフロート」の看板を見つけた。22年前、航空券受け取りのために昼前に行ったら、すでに昼休みに入っていたというあのアエロフロートだ。当時は息せき切って走ったウンター・デン・リンデン通りだが、今回はルフトハンザなので航空券の心配をしないでゆっくり歩くことができる。


(このあたりは過去のブログ「二度と行けない国・東ドイツ 」をご参照ください)



  ブランデンブルク門が見えてきた。柱の間のベルリンの壁はもちろん撤去されている。観光案内所は門の左側の建物に入っている。





観光案内所の中はスーベニアショップも入っていて、トラバントのミニカーも売っていた。それも前日DDR博物館で買ったものより一回り小さいものもあり、欲しくなったが、荷物になるのでここは我慢して、ベルリンの市街地地図を広げながら係の若い男性に声をかけた。
「おはようございます。ベルリンの壁の跡を見たいのですが、壁の博物館(Mauermuseum)はどこですか」
「ここです」と地図に印をつけてくれた。
「いわゆる壁の道(Mauerweg)はどこですか」
「壁の道?そういうのは聞いたことはないですが、ブランデンブルク門から歩く道はこれです」
と二枚の地図を印刷してくれた。
「監視塔(Wachturm)も残っていますか」
「はい、このあたりにあります」と言って、地図に印をつけてくれた。
このあたりまでは親切に対応してくれたが、次の質問あたりから、係の男性の表情が曇ってきた。
「国家保安省(シュタージ)があったところはどこですか」
それでも最寄りの地下鉄駅からの地図を打ち出して印をつけてくれた。
しかし、次の質問になると、完全に不愉快そうな表情になった。
「最後に一つ、総統官邸の跡はどこですか」
「総統?」
「ええ、ヒトラーが執務していたとこで、最後に自殺して、遺体が焼かれたところです」
「ああ、それはここで、今は中華料理屋になってますよ」
と投げやりに言って私がもってきた地図に印をつけてくれた。
「えっ、中華料理屋?そうですか」

私は、係の男性に不愉快な思いをさせて悪いことをしたな、と思ったが、別にそれを意図したわけではなかった。「ただ過去の歴史の現場を見たいだけでなんです」と言おうと思ったが、時間をあまりとっては申し訳ないので、お礼だけを言ってその場を去った。

外に出るとまだ気温は上がっていない。

あまりに寒いので、とりあえずどこか屋内に避難しようと思った。
さてどこへ行こうか。そうだ、ペルガモン博物館に行こう。
(次回に続く)


適当な地図がなくてすみません。
これから出てくるベルリン市内の場所については、ベルリン市公式ホームページをご参照ください。

http://www.berlin.de/stadtplan/