ペルガモン博物館の2階はイスラム文化博物館になってる。
写真は、ヨルダンの首都アンマンから30km南にあるムシャッタ城遺跡。展示室の壁づたいに繊細なレリーフをもつ城の外壁が見事に再現されている。
ムシャッタ城は、碑文などが残されていなかったので、長い間、いつの時代に建設されたものか分からなかったが、1964年に発見された一枚の瓦によって、ウマイヤ朝のカリフ、アル・ワリド2世(在位743-744)の時代に建設されたことが判明した。
シリア・ヨルダンに行ったのが1994年の冬。
成田からバンコク経由でエジプトのカイロに入り、ギザのピラミッドとスフィンクス、エジプト考古学博物館を観光。その日の夕方のうちにエジプト航空でシリア首都ダマスカスに飛び、翌日は午前はダマスカス市内観光、午後にローマ時代に栄えた都市パルミラにバスで移動し、そこで2泊。その後、陸路で国境を越えヨルダンの首都アンマンへ。その翌日は死海、ネボ山などを通り紀元前3世紀ごろナバティア人が建設したペトラに向かい、そこで2泊。
このときがアラブ圏に足を踏み入れた最初の旅行だった。
もちろんギザのピラミッドやスフィンクス、パルミラやペトラの遺跡には圧倒されたが、特に印象に残っているのが、ダマスカス市内観光のとき、昼食をとるため入ったウマイヤド・モスク近くのレストラン「ウマイヤド・パレス」の中にただよっていた香辛料の香り。
タイとは違い、アラブ圏の料理はあまり辛くはないが、よく食される羊肉の臭いをとるためか香料は多用する。その香りが鼻から脳に入り、アラブ圏に来たんだということを実感させてくれた。
スーク(市場)でもいろいろな種類の香料が大きな麻袋に入って売られているので、狭いスークの路地にもその香りはただよってくる。
ただし、香りや味は人によって好みが大きく違ってくるので、誰もが香りからアラブ圏を感じ取るとは限らないだろう。私なんかは、タイ料理店に入ったときに鼻に入ってくるナンプラー(魚醤)の香りがたまらなく好きだし、麺料理に浮かぶパクチーも大好きだが、どちらも苦手という人の話はよく聞く。
右の写真、上は「ウマイヤド・パレス」の店内。楽器の演奏もあり、店内の調度品も雰囲気を出している。真中はパレルモ。下は、映画「インディー・ジョーン 最後の聖戦」を意識して撮ったペトラのエル・カズネだが、わかりにくくなってしまった。もっとわかりやすい写真は、ヨルダン政府観光局のHPにあるので、こちらをどうぞ。
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http://jp.visitjordan.com/default.aspx?tabid=300
冒頭の写真のムシャッタ城には行っていないが、イスラム文化博物館の遺跡や出土品を眺めているうちに、あの香料の香りが思い出されてきた。
しかし、時計を見るとすでに1時を過ぎていたにもかかわらず、おなかは全く空いてこなかった。朝食の料理が充実していて食べすぎたのだ。
ただ、何か食べなくてはと思い、いったんホテルに帰って、ルフトハンザの機内でもらったスナック菓子やチョコレートを食べることにした。飲み物は、朝食を食べたレストランで水筒に入れてもらったお湯があるので、日本から持ってきたティーバッグで入れたお茶。
ついでながら、シリア・ヨルダン旅行の翌年の冬は、アラブ首長国連邦、オマーン、イエメン、バーレーンと、アラビア半島の4か国を回った。
その中でも特に印象的だったのはイエメン。石油がとれず、貧しい生活をしているが、現地の人たちは親切で明るく、人なつこい。街も昔のままで残っているから古き良きアラビア半島の街並みが残っている。
そのイエメンで、ドイツ語を勉強していてよかった、と思ったできごとがあった。
イエメンの首都、サヌアの空港に着いたとき、現地のガイドの男性が出迎えてくれた。私は片言のアラビア語であいさつすると、驚くと同時に「ほかにどんな言葉を習っているんだ」と聞いてきた。
私は「アレマニー(ドイツ語)」と答えた。
すると、そのガイドさんは「おれもドイツ語を話すんだ」と言う。
「どうしてですか」と聞くと、妻がドイツ人で、一年の半分はサヌアに住んで、あとの半分はミュンヘンに住んでいる、とのこと。
それからそのガイドさんとはドイツ語で話をした。
そして、大晦日のガラ・ディナー。
大きな式典会場で、団体ごとに分かれて食事を始めた。ヨーロッパからの観光客も多いようだ。食事も一段落すると、ショータイム。ここはベリーダンスでなく、男たちが踊るジャンビア・ダンス。
ジャンビアとは短剣のこと。イエメンの男たちは上からすっぽりかぶり、足首までの長さのある服を着ていて、成人した男性は、首からはジャンビアをぶら下げている。
そんなものけんかのとき振り回したら危ないではないかと思うが、彼らは、ジャンビアを抜きたいときでも我慢するのが成年男子の美徳と教えられている。
それでも、便利な道具としては使っている。たとえば、食事中に果物の皮をむくときとか、太陽の光を反射させ、ライト代わりにして走っている車に合図したりとか。
そういったジャンビアを振り回して踊るのがジャンビア・ダンス。
ショーが始まると、ガイドさんが私の近くにきてドイツ語で話かけてきた。
「いいか、ステージの正面のドイツ人の団体はもうすぐ引き上げる時間だから、彼らが席を立ったらあそこに行くといい。せっかくだから前で見た方がいい」
私たちの席は後ろの方だったのだ。
ことばは何か得することがあるから勉強するのでなく、そのことばが話されている国や地域のことに興味があり、そこに住む人たちと話がしたいから勉強しているのだ、と常々思っているが、長年勉強しているといいこともあるものだ。
おかげで目の前で短剣が振り回され、迫力のあるショーを楽しむことができた。
右の写真、上2枚はジャンビア・ダンス。下の一枚は、シバの女王の「太陽の神殿跡」まで連れて行ってくれたドライバーさんたち。
みんなジャンビアを首からぶら下げている。
次の写真は、上からサナアの旧市街。旧市街の中のスーク。スークの通りは牛も通る。下はシバの女王の太陽の神殿跡。今は柱が残っているだけで、子どもたちの遊び場になっている。
去年はチュニジアやエジプト、リビアで独裁政権が倒れ、「アラブの春」と言われたが、エジプトではムバラク政権退陣後も民衆のデモが暴徒化している。
また、シリアでは反体制デモが弾圧され、イエメンでも首都サヌアをはじめ各地で反政府デモがあり、治安部隊との衝突が起こっている。
アラブ圏への旅行のことを思い出すたびに、現地で出会った人たちは今どうしているのだろうかと案じずにはいられない。
(次回に続く)