2012年3月12日月曜日

旧東ドイツ紀行(12)

11月14日(月)続き  ベルリン
昼食の後は博物館島に渡り、ペルガモン博物館の隣の「新博物館(Neues Museum)」に行った。
「新」と言っても、建物は、中世の教会のように円柱の並ぶ回廊が廻らされていて、展示されているものは、古いものでは紀元前3000年代の古代エジプトの遺跡にまでさかのぼるものもあるので、決して新しくはない。

館内のスペースはぜいたくなほどゆったりと使われていて、なおかつ現地の雰囲気を出そうという工夫が見られる。
地下1階から階段を下りると、正面の扉の両側に守り神の像が並んでいて、その先に王の棺の部屋があるようなつくりになっている。
ちなみに正面の扉は職員の通用口。この写真を撮る前に女性の職員が出てきたが、私が写真を撮るのに気付いて、小走りで私の横を通り過ぎてくれた。


  巨大な石のレリーフも迷路のように並んでいる。まるで王家の墳墓の中に入ったようだ。

これはレリーフの小片。それにしても何でこんなに鮮やかに当時の色が残っているのだろうか。
ベルリンでは過去の海外旅行のことを思い出してばかりだが、ここでも2003年の年末に行ったエジプト旅行のことを思い浮かべた。
シリア・ヨルダンに行ったときにギザのピラミッドを見たことは以前にふれたが、ナイル川をさかのぼってルクソール、アブシンベル大神殿まで行ったのはこの時が初めて。
羽田から関空に飛び、エミレーツ航空で深夜に関空を発ち、ドバイで乗り継いで翌朝、カイロに到着し市内観光とお決まりのギザの三大ピラミッドとスフィンクス。
翌日は飛行機でルクソールまで移動し、カルナック神殿、ハトシェプスト女王葬祭殿、王家の谷などを観光。ハトシェプスト女王葬祭殿は、1997年に日本人を含む観光客が襲われた銃撃事件があったところ。葬祭殿は砂山に囲まれたすり鉢状のくぼ地につくられているが、砂山を見上げると、自動小銃をもった兵士が等間隔で並んで警戒していて、ものものしい雰囲気。
ルクソールからアスワンにはバスで移動したが、私たち一行のバスだけでなく、さまざまな国の団体旅行者を乗せた観光バスが何十台も隊列を組み、前後を軍の車が護衛するという警戒ぶり。
事件後6年たっていたが、まだテロの危険性があったようだ。
途中、日本でいえばドライブインみたいなところでトイレ休憩があった。私は食堂の外に木製の丸テーブルがずらりと並んでいる中に席を見つけ、水筒に入れたお湯を飲んでいた。
すると、若い兵士が近づき、肩にかけていた自動小銃を、「バンッ」と私の隣の丸テーブルの上に置き、食堂の中に消えていった。
私は怖くなった。この自動小銃を誰かが奪って乱射したらどうするんだ。
かといって私がいじったりしたら、暴発してしまうかもしれないし、テロリストと疑われてしまうかもしれない。
私は仕方なく、誰にも奪われないよう、じーっと見張ることにした。
ほどなくして若い兵士がうれしそうにコーヒーをもって戻ってきた。そして、自動小銃を見つめていた私に言った。
「どうだ、かっこいいだろう」

若い兵士が自動小銃を肩にかつぐのを確認して、私もほっとして笑顔で言った。
「そうだね」

そしてこのエジプト旅行は、デジタルカメラを持って行った最初の海外旅行でもあった。
最近ではどこへ行っても写真はパソコンに保存しているだけだが、このときは凝った編集をして、見出しや説明書きまでつけた。見本として2ページ紹介する。



最終日はフリーだったので、タクシーをチャーターしてカイロの旧市街地を観光した。
ドライバーの中年の男性は、旧市街地に住んでいるようで、行く先々で知り合いの人とあいさつしていた。
おかげで旅行者では分からないような裏路地まで教えてもらった。
夕方、ホテルに集合し、私たち一行はバスにのって空港に向かった。バスが高速道路に上がると、ちょうど日が沈むところで、夕陽に照らされたいくつものモスクの塔がまるで影絵のように浮かんでいた。
私は写真に収めようと思いカメラを出したが、バスは無情にもカーブにさしかかり、街のシルエットは見えなくなってしまった。
残念ではあったが、こういう時、私は「もう一度来る理由が見つかった」と思うようにしている。
次回こそは、どこか高いところから夕陽に浮かぶカイロの街並みを撮りたい。
「アラブの春」と言われ、民主化デモにより昨年2月に当時のムバラク大統領は辞任したが、政情は安定していない。デモ隊と治安部隊の衝突は今でも各地で起こっている。
自動小銃を無造作にテーブルの上に置いた若い兵士は今もしっかり観光客を守っているだろうか、最後にチップを渡したとき、笑顔で「ショクラン(アラビア語で「ありがとう」)」と言ったタクシーの運転手さんは商売あがったりになっていないだろうか、ピラミッドやアブシンベル大神殿などの世界遺産も素晴らしいが、現地で出会った人たちのことも目の前に浮かんでくる。
(次回に続く)