2012年3月4日日曜日

旧東ドイツ紀行(11)

11月14日(月)続き  ベルリン
ホテルの部屋に戻り、暖かい日本茶で一息ついてから、お昼を食べるところを探しに表に出ることにした。
この日もやはり野菜に飢えていた。ドイツにはイートインできるベーカリーショップが街のいたるところにある。そこで野菜をはさんだパンを食べるか、と考えながら、ホテルの横のアーケードを通って裏手に行ったら、なんと懐かしの「Subway」の看板。
 日本では数えるほどしか入ったことがなく、行きの成田空港で久しぶりに入った「Subway」だが、ベルリンではこの看板がどれだけ心強く感じたことか。
迷わず中に入り、セサミパンにありったけの野菜をはさんでもらい、デザート代わりのチョコナッツクッキーを注文した。
さて、ここで困ったのがコーヒー。料金を払ってカップをもらい、レジの横にあるコーヒーメーカーに置いて、好きなもののボタンを押すのだが、ブラックコーヒーらしきものがなかったので、「エスプレッソ」を押したら、カップの底の方にちょぼちょぼしか出てこなかった。
店員のおねえさんに「ブラックコーヒーが飲みたくてエスプレッソを押したらこんな少ししか出てこなかったのですけど」
と言ったら、「ブラックはこれです」と言って、「Café Créme」のボタンを指さした。そして、悲しげにカップの底の方を見ていた私を憐れに思ったのだろうか、「もう一回押してもいいですよ」と笑顔で言ってくれた。
私はお礼を言って、カップなみなみになったコーヒーを持って席につき食事を始めた。

それにしても不可解だ。カプチーノのボタンはあったし、「Café Créme」を押したらミルクコーヒーが出てくるものとばかり思っていたが、どうやら最近のドイツでは「Café Créme」とはブラックコーヒーのことをさすようだ。翌日入ったアレキサンダー広場駅のベーカリーショップもそうだった。

Café Crémeは少し薄めだが、野菜サンドにかけた少し辛めのドレッシングでひりひりした口にはちょうどよく、すっきりした味わい。
野菜サンドを食べ終え、クッキーに移ったときには、底の方に残っていたエスプレッソの濃い味が出てきてクッキーの甘みとよく合う。
野菜もたくさん食べたし、親切な店員のおねえさんのおかげで二種類のコーヒーも味わえたしで、満足してSubwayを出た。

ホテルの横のアーケードにはスーベニアショップもある。トラバントのミニカーもずらりと並んでいた。
これは前から探していた白いトラバント。やっぱりトラバントは白が私のイメージにぴったりくる。




 さらに、箱に入った小さめのもあったので、全色買ってしまった。






「トラバントは排ガス規制の関係でもう道路は走れないんですか。なにしろ有毒ガスをそのまま出しててますからね」とレジで店員のおねえさんに聞いてみた。
おねえさんは少し考えながら、
「んー、それもあるけど、メンテが大変なんで台数が少なくなったんだと思います。今では貴重な存在ですよ」
良くも悪くもDDRの象徴「トラバント」、やはり博物館に保存しないと私たちの目の前から消え失せてしまうのだろう。私もせめてミニカーでDDRの記憶を残していきたい。

 さて、ここで少し話題を変えて、最近、日本で問題になっている自転車の走行について。
まず、ドイツでは自転車は原則、車道のはしを走ることになっていて、交差点にさしかかると自転車用のレーンが示される。歩道を通る区間もあるが、自転車の通行帯がはっきり分かるようになっている。
日本でもこういったハード面では整備が進んでいる地域もあるが、日本と決定的に違うのは、ドイツ人は交通ルールを守る、ということ。
赤信号で止まる、歩道では徐行する、横断歩道を歩いている人を見たら止まる。携帯で通話しながら走っている人なんていない。
 当たり前のことばかりだが、これらがすべてきちんと守られている。
自転車無法地帯の日本から来て、どうしてこんなに違うんだろうと、考えながら、新鮮な思いで自転車に乗っている人たちを眺めていた。
おそらく、ドイツはヨーロッパの国の中では例外的に交通マナーのいい国だろう。
具体的な国名は言わないが、特に大都市でのドライバーのマナーの悪さはひどい。横断歩道を人が渡っていても平気で猛スピードで横を通り抜けていく、前が詰まっていても交差点に進入して、案の定、交差点内で止まってしまう、クラクションを鳴らすのは当たり前、こういった国をいくつも見てきた。

歩行者も同じだ。横断歩道にさしかかるとまず左右を見て、車が来なければ渡る。信号なんか見ない。第一、どんなに交通量が多くても信号すらない交差点もある。
しかし、ドイツ人は信号を見て、それに従う

自転車の話題をもう一つ。
ドイツ人は自転車好きだ。アルプスに近い南部を除いて、ヨーロッパ大平原に属する中北部ドイツはほとんどが平らな土地なので、どんなに遠くへも自転車で行くことを厭わない。国境を越えて隣の国へも行ってしまう。
私も21年前、ドイツに住んでいたとき、宿泊先のドイツ人一家に勧められて、一人で自転車に乗ってライン川を越えて隣のフランスまで行ったことがある。
以前にもお話したが、私がいたのはラインラント・プファルツ州で、南の方に住んでいたので、西へ行けばフランスのアルザス州、東に行けばすぐにバーデン・ヴュルテンベルク州という位置関係だった。

初秋のおだやかに晴れた午後。その日は最初のドイツ統一記念日。仕事も休みだったので、ゆっくり起きてシャワーを浴びてから出発した。気温は18℃。サイクリングにはもってこいの陽気。 
住宅街を出ると、同じくサイクリングしている二人組に出会った。「フランスに行く」というと、「こっちの方だ」と親切に行先を教えてくれた。
国境の街ブルク(Burg)までは、畑と小高い木が生い茂った林ばかりで何の障害物もない自転車専用道路をひたすら走る。気温もさらに上がり少し汗ばんできたが、木陰は涼しく、何ともいえない爽快な気分。
家を出てから30分ほどでドイツとフランスの国境にたどり着いた。国境といっても、検問所の建物があるだけで、中には誰もいない。誰でもフリーパスで通ることができる。
しかし、フランス領内で警官に呼び止められたとき、身分を証明するものがないと厄介なことになる、と注意されていたので、パスポートは首からぶら下げていた。
国境を越えるとすぐに「Coop」というスーパーがあり、そこでビールの小瓶、パン、菓子、ワインを買った。レジで恐るおそる「ドイツ語で話してもいいですか」と聞くと、レジのお兄さんは「もちろん」と笑顔で応えてくれた。

アルザスは、かつてドイツ領になったりフランス領になったりして複雑な歴史があり、今でもドイツ人が多く住んでいるので、街中でもドイツ語が通じる。
ドイツに比べ土地が安いので、アルザスに引っ越して、バーデン・ヴュルテンベルク州まで毎朝、自動車で通勤するというドイツ人も多くいると聞く。私も実際にアルザスに引っ越してきた人の家に招かれたことがあるが、物価も安く、食べ物もおいしいので、ドイツより生活しやすい、と言う。
ドイツ人がアルザスに引っ越すのは、日本人が、東京から神奈川や千葉、埼玉に引っ越して、毎朝、東京に通うのと同じような感覚なのだろうか。

パンを買ったのに、公園のようにベンチがあってゆっくりできる場所がなく、お昼を食べる場所を探すのに苦労した。
結局、かなり走ってライン川沿いまでもどると、砂利採取場近くに鉄管が転がっていたので、そこに座って食べることにした。
ライン川のゆったりとした流れを眺めながら食べるお昼は格別。しばし時間が過ぎるのを忘れた。

のども乾いたので、ビールでも飲もうか。そう思い、小瓶の栓をひねったら、全く動かない。どうやらフランスのビールはアメリカのバドワイザーのように栓は回らなようだ。
しまった、と思いつつ、あたりを見渡すと、鉄管のつなぎ目のネジが目に入った。
これはいいぞ、と思い、中腰になって栓をネジ山にひっかけ、エイッと力を入れたが、うまく引っかかってくれない。何回かトライしてようやくプシューッという音がして瓶の中から泡が噴き出してきた。  
暖かな日差しの下でのビールもまた格別。

(ちなみに、ヨーロッパ、特にドイツではアルコールの血中濃度の基準が日本より高いので、ビール小瓶1本やワインをグラス1杯飲んだだけでは酒気帯び運転にはならない・・・はず。もちろん今はこういうことはやりませんので、今回だけは聞き流してください。ワインはドイツ人家族へのお土産です)

国境からアルザス側の小さな街ラウターブール(Lauterbourg)までは自転車で15分ほどの距離だ。さすがフランスだけに、同じ「お城」という意味でも、ブルクでなくブールになる。
フランスは休日ではないのに、街には車があふれ、人もたくさん繰り出していて、レストランもにぎわっている。あとで聞いた話だが、ドイツ人が買い物や食事に大挙して押しかけてきたようだ。私がお世話になっている家族もフランスに買い物に行ったが、車を停める場所がなく、すぐに戻ってきたという。


ひととおり街中をサイクリングしたあと、来た道を返ることにした。
国境の街ブルクでは、公園で飼い犬のコンテストをやっていた。

その日の夕食は近くの街のレストランでいのしし肉のロースト(Wildschwein Brat)と新しいワイン。
(新しいワインのことは、去年の8月7日のブログをご参照ください)


ドイツでは、楽しく会話をしながら食事をとる。それも、必ずストーリーがあって、最後に笑いを取る会話をしなくてはならないので、かなり頭を使う。
その日の夕食は私のアルザス珍道中で盛り上がった。食べる場所が見つからなかったこと、それでもライン川を見ながらの昼食は格別だったこと、さらにはビールの栓を抜くときに苦労したこと。
中でも、ビールの話は受けた。身振り手振りを交えて説明したら、みんなでそのときの私のしぐさをまねて、腹をかかえて笑い出した。
新しいワインの口当たりのよさも手伝い、ドイツ統一記念日の夜は心地よく(gemütlich)更けていった。

食事中の会話について言うと、毎朝の朝食の時も大変だ。
たとえばこういう感じ。
「昨日、靴を買いに行ったんです」
「それで」
「私は2足買いたかったので、2つください、と言ったら、店員のおじさんは『もちろんですよ。右と左、ちゃんと2つ差し上げますから安心してください』と言ったんです」(笑い)

眠い目をこすり、寝不足と、時には飲みすぎでボーッとした頭をフル回転させて、ネタを考え、それもドイツ語で話をして笑いを取らなくてはならない。
こんな辛い朝食はないが、ドイツ語が上達することだけは確かである。
(次回に続く)