11月17日(木) ライプツィヒ
今日はいよいよ「英雄の街(Heldenstadt)」ライプツィヒ。
切符は昨日の夕方のうちにドレスデン中央駅のDBの窓口で購入済みだ。
乗る列車は電光掲示板の下から2行目、10時23分発、フランクフルト空港行きのIC(インターシティ)。
ライプツィヒ到着は11時28分の予定なので約1時間の小旅行。
外の景色を眺めていると、すぐに着いてしまう。
これはライプツィヒ中央駅構内。ドイツでも主要駅は駅ナカがにぎわっている。
ドイツの駅だが、ここでもアメリカ資本の広告が目立つ。
しかし駅正面は、いかにも重厚なヨーロッパの駅といった風格がある。
目ざすはニコライ教会。ライプツィヒ駅からほぼまっすぐ「ニコライ通り」を南下するとニコライ教会の塔が見えてきた。
建物の中は白やパステルカラーを基調とした明るい雰囲気で、柱は南国のヤシの木をイメージしている。
毎週月曜日の夜、このニコライ教会で平和の祈りが行われ、そのあと、市民が街中を練り歩き、民主化を求めた。その動きが東ドイツ全土に広がり、独裁政権が倒れた。
(東ドイツ民主化の動きは去年11月7日のブログをご参照ください)。
「ここがまさに東ドイツ民主化の聖地・ニコライ教会だ」
そう思うと喜びで胸がいっぱいになり、うれしさのあまり油断しているとほおがゆるんでしまう。
「教会の中でニタニタ笑う気味の悪い変な日本人」と思われたくなかったので、できるだ頬を引き締めて室内を見渡した。
これは祭壇側から入口側を見たところ。2階には大きなパイプオルガンがある。
そして祭壇のアップ。
祭壇の左手にあるポスターは、月曜の祈りを知らせるポスター。
右側に「毎月曜日 17時」と赤い字で書かれた小さい紙片が貼ってある。
この写真をとり、しばらくたたずんでいたら、後ろから
「すみません」と声をかけられた。
後ろを振り向くと、ひげをはやしたドイツ人青年が写真を撮ろうとカメラを構えていた。
私は「すみません」と言って横に避け、その青年が写真を撮り終わるのを見て話しかけた。
「私は東ドイツの民主化に興味があってこのニコライ教会に来ました」
と言うと、
「では、あの絵をぜひ見た方がいいですよ」といって、祭壇の右端の方を指さした。
(次回に続く)
ベルリンの壁崩壊から20年以上が経過した2011年、ドイツでのできごとを東側の視点から紹介したいと思って始めたブログです。最近では美術展の紹介記事も多く書いています。これからも楽しい記事を載せたいと考えていますので、今後ともお付き合いください。
2012年5月21日月曜日
2012年5月16日水曜日
旧東ドイツ紀行(21)
11月16日(水) ドレスデン市内
旧市街地区と新市街地区を結ぶアウグスト橋。
アウグスト橋を渡りきった新市街地区側には黄金に輝くアウグスト強王の像。バロックの街ドレスデンの基礎を築いた人だけに、街のあちこちに名前が残っている。
これは新市街地区側から旧市街地区を見たところ。聖母教会やレジデンツ城の塔が夕日に照らされ、シルエットのように浮かび上がってくる。
アウグスト橋のたもとでどこかで見たような絵を見つけた。街じゅうが水に浸かった2002年のエルベ川の氾濫を記憶に残すために作った「大波」という作品である。
もちろんオリジナルは葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」である。
これは今年2月25日に「川崎・砂子の里資料館」で購入した絵はがき。
「川崎・砂子の里資料館」は、京急川崎駅から歩いて約3分、旧東海道沿いにある江戸後期の浮世絵を中心としたコレクションが豊富な資料館で、この絵が展示されているのがこの日までだったので、あわてて家を飛び出して見に行った。
展示スペースは決して広くないが、入館料無料というのはどうも申し訳ない。そこで、自分の納得する金額ということで寄付金箱に200円入れた。
昼間の暖かさもつかの間。4時にはもう日が地平線に傾き、気温はぐっと下がってくる。
行く先は三王教会。空襲にもこの塔だけは破壊されずに残った。
建物自体は新しいが、正面の祭壇だけは焼けずに残ったのだろう。祭壇の前では夜のコンサートのための練習をしていた。厳かな雰囲気の中でいい音楽を聴くことができた。
映画「ドレスデン」でも雪をうっすらとかぶったアウグスト橋が何回か出ている。
映画と同じく、路面電車が通るシーンを撮りたかったので、寒い中こごえながら路面電車が来るのを待った。そして来たのはラッピングされた青い車両。統一前は考えられないこと。これもドイツ統一の象徴だろう。
夕食はどうしようか迷ったが、体調もまだ十分でなく、寒い中、外を歩き回りたくなかったので、ホテルのレストランでとることにした。
うれしいことに盛り切り一回のサラダバーがあったので、皿いっぱいによそった。朝食に野菜が少なかったので、野菜がとれない時期だからなのかな、と思っていたが、あるところにはあるものだ。あまりたくさんとったのでウエイトレスさんたちが目をぱちくりしていた。
この日も温かいものが飲みたかったのでスープをたのんだが、これは「ザクセン風スープ」というが、スープの隣のウインナーがザクセン風らしい。子どものお弁当に入れるタコの形にしたウインナーが「ザクセン風」のようだが、両側の先っぽに切れ目を入れてあるのでタコではない。
残念ながらこの日も地ビールはお預け。飲み物はミネラルウォーターにした。
(次回に続く )
旧市街地区と新市街地区を結ぶアウグスト橋。
アウグスト橋を渡りきった新市街地区側には黄金に輝くアウグスト強王の像。バロックの街ドレスデンの基礎を築いた人だけに、街のあちこちに名前が残っている。
これは新市街地区側から旧市街地区を見たところ。聖母教会やレジデンツ城の塔が夕日に照らされ、シルエットのように浮かび上がってくる。
アウグスト橋のたもとでどこかで見たような絵を見つけた。街じゅうが水に浸かった2002年のエルベ川の氾濫を記憶に残すために作った「大波」という作品である。
もちろんオリジナルは葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」である。
これは今年2月25日に「川崎・砂子の里資料館」で購入した絵はがき。
「川崎・砂子の里資料館」は、京急川崎駅から歩いて約3分、旧東海道沿いにある江戸後期の浮世絵を中心としたコレクションが豊富な資料館で、この絵が展示されているのがこの日までだったので、あわてて家を飛び出して見に行った。
展示スペースは決して広くないが、入館料無料というのはどうも申し訳ない。そこで、自分の納得する金額ということで寄付金箱に200円入れた。
葛飾北斎は、ドイツでも注目されている。ベルリンでも8月26日から10月24日まで北斎展を開催していた。
これは新市街地区の中央通り。中央通りといっても人と自転車しか通れない。両側には街路樹が並び、その外側にはアパートや商店が並んでいる。
街路樹の葉は茶色になり道路一面を覆っている。空は青く、私は教会に向かう。歩きながら思わずママス・アンド・パパスの「カリフォルニア・ドリーミング」を口ずさんでいた。
行く先は三王教会。空襲にもこの塔だけは破壊されずに残った。
建物自体は新しいが、正面の祭壇だけは焼けずに残ったのだろう。祭壇の前では夜のコンサートのための練習をしていた。厳かな雰囲気の中でいい音楽を聴くことができた。
映画と同じく、路面電車が通るシーンを撮りたかったので、寒い中こごえながら路面電車が来るのを待った。そして来たのはラッピングされた青い車両。統一前は考えられないこと。これもドイツ統一の象徴だろう。
夕食はどうしようか迷ったが、体調もまだ十分でなく、寒い中、外を歩き回りたくなかったので、ホテルのレストランでとることにした。
うれしいことに盛り切り一回のサラダバーがあったので、皿いっぱいによそった。朝食に野菜が少なかったので、野菜がとれない時期だからなのかな、と思っていたが、あるところにはあるものだ。あまりたくさんとったのでウエイトレスさんたちが目をぱちくりしていた。
この日も温かいものが飲みたかったのでスープをたのんだが、これは「ザクセン風スープ」というが、スープの隣のウインナーがザクセン風らしい。子どものお弁当に入れるタコの形にしたウインナーが「ザクセン風」のようだが、両側の先っぽに切れ目を入れてあるのでタコではない。
残念ながらこの日も地ビールはお預け。飲み物はミネラルウォーターにした。
(次回に続く )
2012年5月6日日曜日
旧東ドイツ紀行(20)
11月16日(水) ドレスデン市内
アルテ・マイスター絵画館を出たのが午後2時近くになったのは前々回のブログでふれたとおり。
例によって朝食をゆっくりたっぷり食べたのでこの時間になってもおなかが空かない。
それでも何か食べなくては、と考えながら旧市街地区を歩いていたら、あった。
そう、困ったときの「Subway」。
ここなら野菜も十分とることができる。
私は迷わず店に入った。
すると店の奥から気の良さそうなおにいさんが出てきて「こんにちわ」。
私もあいさつを返して、「野菜を全種類サンドしてください」と注文。
パンの種類は胚芽パン。
野菜をひととおりはさんでから、おにいさんが「ソースはどれにしましょう」。
「辛めのはありますか」
「メキシカンはどうでしょう」
名前からして辛そうなので、
「あまり辛すぎない方がいいんですけど」
「じゃ、試してみますか」
と言って、カットしたきゅうりにさっとメキシカンソースをつけてこちらに差し出してくれた。
それを口に入れながら「ちょうどいい辛さですね。じゃ、ソースはこれで」と私。
あとはデザートのクッキーとコーヒー。今度は間違えずにCafé Crémeを注文した。
これで5ユーロ7セント。当時のレートで550円ぐらい。この値段でごらんのとおりあふれんばかりの野菜。
食後の散歩。
ベルリンでもよく見かけたが、ドレスデンにも寿司バーが多い。海苔巻きが主だが、ドイツでもヘルシーな食事ということで人気が出てきているのだろうか。
今回は日本食が恋しくなるほど長くは滞在していないので入るつもりはなかったが、以前、ドイツに滞在していたときは、やたら日本食が食べたくなって困ったことがある。
地方都市だと日本料理の店がなかったからだ。そこで、ほとんど毎日中華料理を食べて気を紛らわしていたが、中華料理屋だと世界中どこにでもあるから助かる。
それでも日本食が食べたくなり、フランクフルト・アム・マインに出かける機会があったときには、迷わず日本料理店に行った。そのとき食べたマグロの握り寿司が涙が出るほど美味しく感じたことを今でも覚えている。
これはショッピングモールのクリスマスツリー。
この光景を見た瞬間、「これはまるで『みなとみらい』ではないか」と声を上げた。
ドレスデン中央駅から旧市街地までのプラーガー通りの両側には、ずらりとショッピングモールが立ち並んでいる。統一前にはホテルがちらほらあっただけで、ほとんど空き地だったので、何の遠慮もなく新しいショッピングモールをつくることができるのは横浜のみなとみらい地区と同じだ。中も吹き抜けになっていて、店の並びなどもよく似ている。ファストフードのチェーン店がはいっているところなども同じだ。
これは帰国後に行った横浜みなとみらい地区のランドマークプラザのクリスマスツリー。
ツリーの色合いは違うが雰囲気はよく似ている。
ドレスデンではショッピングモールの感じがランドマークプラザに似ていると思ったが、横浜では反対に、建物の外に出るとドレスデンの旧市街地区が見えてくるのでは、という不思議な錯覚におそわれ、またドレスデンに行きたくなってしまった。
こういうときは、少し足をのばして歴史博物館まで行ってみるか。
あのネオバロック様式の重厚なつくりの建物は、ドイツの街を思い出させてくれる。
(神奈川県立歴史博物館の適当な写真がなくてすみません。今度撮る機会があったらアップします)
下の写真は、旧東ドイツの紙幣を印刷したチョコ。ベルリンでは見かけなかったが、ドレスデンでは、駅のキオスクにも、旧市街地のみやげ物屋にも売っている。
今や「DDR」は商品のブランドとして確立しているようだ。DDRというだけで、少なくとも私のような変わり者はトラバントのミニカーやチョコレートを買っていく。
上から、5マルク紙幣は宗教家トーマス・ミュンツァー、10マルク紙幣は女性革命家クララ・ツェトキン、20マルク紙幣は以前のブログで実物の紙幣を紹介した文豪ゲーテ、50マルクはフリードリヒ・エンゲルス、そして100マルクはカール・マルクスの肖像が描かれている。さすがに社会主義の思想的支柱となったマルクスとエンゲルスは100マルクや50マルクのような高額紙幣に肖像が描かれているが、22年前に東ドイツを訪れたときにはお目にかかることはなかった。
(次回に続く)
アルテ・マイスター絵画館を出たのが午後2時近くになったのは前々回のブログでふれたとおり。
例によって朝食をゆっくりたっぷり食べたのでこの時間になってもおなかが空かない。
それでも何か食べなくては、と考えながら旧市街地区を歩いていたら、あった。
そう、困ったときの「Subway」。
ここなら野菜も十分とることができる。
私は迷わず店に入った。
すると店の奥から気の良さそうなおにいさんが出てきて「こんにちわ」。
私もあいさつを返して、「野菜を全種類サンドしてください」と注文。
パンの種類は胚芽パン。
野菜をひととおりはさんでから、おにいさんが「ソースはどれにしましょう」。
「辛めのはありますか」
「メキシカンはどうでしょう」
名前からして辛そうなので、
「あまり辛すぎない方がいいんですけど」
「じゃ、試してみますか」
と言って、カットしたきゅうりにさっとメキシカンソースをつけてこちらに差し出してくれた。
それを口に入れながら「ちょうどいい辛さですね。じゃ、ソースはこれで」と私。
あとはデザートのクッキーとコーヒー。今度は間違えずにCafé Crémeを注文した。
これで5ユーロ7セント。当時のレートで550円ぐらい。この値段でごらんのとおりあふれんばかりの野菜。
食後の散歩。
ベルリンでもよく見かけたが、ドレスデンにも寿司バーが多い。海苔巻きが主だが、ドイツでもヘルシーな食事ということで人気が出てきているのだろうか。
今回は日本食が恋しくなるほど長くは滞在していないので入るつもりはなかったが、以前、ドイツに滞在していたときは、やたら日本食が食べたくなって困ったことがある。
地方都市だと日本料理の店がなかったからだ。そこで、ほとんど毎日中華料理を食べて気を紛らわしていたが、中華料理屋だと世界中どこにでもあるから助かる。
それでも日本食が食べたくなり、フランクフルト・アム・マインに出かける機会があったときには、迷わず日本料理店に行った。そのとき食べたマグロの握り寿司が涙が出るほど美味しく感じたことを今でも覚えている。
これはショッピングモールのクリスマスツリー。
この光景を見た瞬間、「これはまるで『みなとみらい』ではないか」と声を上げた。
ドレスデン中央駅から旧市街地までのプラーガー通りの両側には、ずらりとショッピングモールが立ち並んでいる。統一前にはホテルがちらほらあっただけで、ほとんど空き地だったので、何の遠慮もなく新しいショッピングモールをつくることができるのは横浜のみなとみらい地区と同じだ。中も吹き抜けになっていて、店の並びなどもよく似ている。ファストフードのチェーン店がはいっているところなども同じだ。
これは帰国後に行った横浜みなとみらい地区のランドマークプラザのクリスマスツリー。
ツリーの色合いは違うが雰囲気はよく似ている。
ドレスデンではショッピングモールの感じがランドマークプラザに似ていると思ったが、横浜では反対に、建物の外に出るとドレスデンの旧市街地区が見えてくるのでは、という不思議な錯覚におそわれ、またドレスデンに行きたくなってしまった。
こういうときは、少し足をのばして歴史博物館まで行ってみるか。
あのネオバロック様式の重厚なつくりの建物は、ドイツの街を思い出させてくれる。
(神奈川県立歴史博物館の適当な写真がなくてすみません。今度撮る機会があったらアップします)
下の写真は、旧東ドイツの紙幣を印刷したチョコ。ベルリンでは見かけなかったが、ドレスデンでは、駅のキオスクにも、旧市街地のみやげ物屋にも売っている。
今や「DDR」は商品のブランドとして確立しているようだ。DDRというだけで、少なくとも私のような変わり者はトラバントのミニカーやチョコレートを買っていく。
上から、5マルク紙幣は宗教家トーマス・ミュンツァー、10マルク紙幣は女性革命家クララ・ツェトキン、20マルク紙幣は以前のブログで実物の紙幣を紹介した文豪ゲーテ、50マルクはフリードリヒ・エンゲルス、そして100マルクはカール・マルクスの肖像が描かれている。さすがに社会主義の思想的支柱となったマルクスとエンゲルスは100マルクや50マルクのような高額紙幣に肖像が描かれているが、22年前に東ドイツを訪れたときにはお目にかかることはなかった。
(次回に続く)
2012年4月29日日曜日
旧東ドイツ紀行(19)
11月16日(水) ドレスデン市内
寒さの中、旧市街を歩き回って体が冷えてきたので、アルテ・マイスター絵画館に避難することにした。
アルテ・マイスター絵画館は、ルネッサンス期のイタリア絵画を中心として、他にもファン・ダイクやデューラー、クラーナハ、ムリリョ、プッサンをはじめとした17世紀のオランダ、ドイツ、スペイン、フランスなどの画家たちの作品が充実していて、1階の半分と2階、3階に所狭しと並んでいる。
全部じっくり見ていたらいくら時間があっても足りない、と思ったが、せっかくの機会だから、体力と気力が続く範囲内でできる限り全部の作品を見る心づもりで、館内を歩き始めた。
下は絵画館のパンフレット裏面の案内図。
ラファエロの「システィナのマドンナ」が展示されている部屋が一目でわかるようになっている。
興味深かったのがパンフレットの表面。「システィナのマドンナ」とフェルメールの「手紙を読む女」の写真が並んで写っている。
最近、日本で人気の出てきたフェルメール。ドイツでも人気が出てきているようだ。
私がちょうどこの作品を見て次の部屋に行こうとしたとき、地元の高校生くらいの女の子二人が
「あ、これこれ、これが見たかったの」といった感じで嬉しそうに小走りで「手紙を読む女」の前に向かっていった。
待ちに待った恋人からの手紙。何が書いてあるのか心をときめかせながら読んでいる少女。その心情が伝わってくるから若い女の子の共感を得るのだろうか。
それにしてもルネッサンス期の天才画家ラファエロと双璧の扱いなのはすごい。
ドレスデン市ホームページでも、「世界中に30数点しかないフェルメールの作品を2点所蔵している」と、誇らしげに紹介している。
↓
http://www.dresden.de/museen/detail/Kultur_159_18.2.2006
これはアルテ・マイスター絵画館の入場券。さすがにこちらはフェルメールでなく「システィナのマドンナ」。幼きキリストを抱きかかえる神々しいマリアを、下からつまらなそうな表情で見ている天使たちだ。
さて、37点とも言われているフェルメールの作品のうち、今年は、日本で6点も見ることができる。
2月3日には渋谷のBunkamuraで開催されていた「フェルメールからのラブレター展」では、「手紙を書く女と召使い」「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」(下のパンフレットの上3枚の作品の左から)の3点が展示された。
「フェルメールからのラブレター展」はもう終わってしまったが、6月13日からは上野の国立西洋美術館で開催される「ベルリン国立美術館展」で「真珠の首飾りの少女」が、6月30日からは同じく上野の東京都美術館で開催される「マウリッツハイス展」で「真珠の耳飾りの女」と「ディアナとニンフたち」が展示される。
昨年の3月から5月にかけてBunkamuraで「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール≪地理学者≫とオランダ・フランドル絵画展」が開催されていたが、フェルメールの作品は「地理学者」の1点だけだったので行かなかった。
今となっては行っておけばよかったと思うが、シュテーデル美術館はフランクフルト・アム・マインにあるし、今度ドイツに行けばいいさ、と一人で強がってみた。
(シュテーデル美術館ホームページ)
http://www.staedelmuseum.de/sm/index.php?StoryID=1036&ObjectID=293
見れなかった分は、とりあえずフェルメール・センター銀座で開催されている「フェルメール 光の王国展」でカバーできる。ここではデジタル技術で複製されたフェルメールの全作品が展示されている。
(フェルメール・センターのホームページ)
http://www.vermeer-center-ginza.com/
2月11日にフェルメール・センターに行ったとき、記念にドレスデンで見た2つの作品を写真に撮ってきた。
これは「手紙を読む女」。
次は「取り持ち女」。
そしてこれはもう一枚は、オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイスが所蔵する「デルフトの眺望」。
私のフェルメールとの出会いはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」なので、この作品には親しみを感じている。しかし、さすがにデン・ハーグまでは行く機会はなので、「マウリッツハイス展」で出展されないのは少し残念。
不思議だったのは、初めて見る作品は本物らしく感じられたが、一度本物を見た作品はどうしても平板に見えてしまうこと。「フェルメールからのラブレター展」で見た「手紙を読む青衣の女」の青い服や、「手紙を書く女」の黄色い服のふわふわした感じは本物には及ばない。
これはやはり本物がもつ力だろうか。気のせいではないと思う。
(次回に続く)
寒さの中、旧市街を歩き回って体が冷えてきたので、アルテ・マイスター絵画館に避難することにした。
アルテ・マイスター絵画館は、ルネッサンス期のイタリア絵画を中心として、他にもファン・ダイクやデューラー、クラーナハ、ムリリョ、プッサンをはじめとした17世紀のオランダ、ドイツ、スペイン、フランスなどの画家たちの作品が充実していて、1階の半分と2階、3階に所狭しと並んでいる。
全部じっくり見ていたらいくら時間があっても足りない、と思ったが、せっかくの機会だから、体力と気力が続く範囲内でできる限り全部の作品を見る心づもりで、館内を歩き始めた。
下は絵画館のパンフレット裏面の案内図。
ラファエロの「システィナのマドンナ」が展示されている部屋が一目でわかるようになっている。
興味深かったのがパンフレットの表面。「システィナのマドンナ」とフェルメールの「手紙を読む女」の写真が並んで写っている。
最近、日本で人気の出てきたフェルメール。ドイツでも人気が出てきているようだ。
私がちょうどこの作品を見て次の部屋に行こうとしたとき、地元の高校生くらいの女の子二人が
「あ、これこれ、これが見たかったの」といった感じで嬉しそうに小走りで「手紙を読む女」の前に向かっていった。
待ちに待った恋人からの手紙。何が書いてあるのか心をときめかせながら読んでいる少女。その心情が伝わってくるから若い女の子の共感を得るのだろうか。
それにしてもルネッサンス期の天才画家ラファエロと双璧の扱いなのはすごい。
ドレスデン市ホームページでも、「世界中に30数点しかないフェルメールの作品を2点所蔵している」と、誇らしげに紹介している。
↓
http://www.dresden.de/museen/detail/Kultur_159_18.2.2006
これはアルテ・マイスター絵画館の入場券。さすがにこちらはフェルメールでなく「システィナのマドンナ」。幼きキリストを抱きかかえる神々しいマリアを、下からつまらなそうな表情で見ている天使たちだ。
さて、37点とも言われているフェルメールの作品のうち、今年は、日本で6点も見ることができる。
2月3日には渋谷のBunkamuraで開催されていた「フェルメールからのラブレター展」では、「手紙を書く女と召使い」「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」(下のパンフレットの上3枚の作品の左から)の3点が展示された。
「フェルメールからのラブレター展」はもう終わってしまったが、6月13日からは上野の国立西洋美術館で開催される「ベルリン国立美術館展」で「真珠の首飾りの少女」が、6月30日からは同じく上野の東京都美術館で開催される「マウリッツハイス展」で「真珠の耳飾りの女」と「ディアナとニンフたち」が展示される。
昨年の3月から5月にかけてBunkamuraで「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール≪地理学者≫とオランダ・フランドル絵画展」が開催されていたが、フェルメールの作品は「地理学者」の1点だけだったので行かなかった。
今となっては行っておけばよかったと思うが、シュテーデル美術館はフランクフルト・アム・マインにあるし、今度ドイツに行けばいいさ、と一人で強がってみた。
(シュテーデル美術館ホームページ)
http://www.staedelmuseum.de/sm/index.php?StoryID=1036&ObjectID=293
見れなかった分は、とりあえずフェルメール・センター銀座で開催されている「フェルメール 光の王国展」でカバーできる。ここではデジタル技術で複製されたフェルメールの全作品が展示されている。
(フェルメール・センターのホームページ)
http://www.vermeer-center-ginza.com/
2月11日にフェルメール・センターに行ったとき、記念にドレスデンで見た2つの作品を写真に撮ってきた。
これは「手紙を読む女」。
次は「取り持ち女」。
そしてこれはもう一枚は、オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイスが所蔵する「デルフトの眺望」。
私のフェルメールとの出会いはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」なので、この作品には親しみを感じている。しかし、さすがにデン・ハーグまでは行く機会はなので、「マウリッツハイス展」で出展されないのは少し残念。
不思議だったのは、初めて見る作品は本物らしく感じられたが、一度本物を見た作品はどうしても平板に見えてしまうこと。「フェルメールからのラブレター展」で見た「手紙を読む青衣の女」の青い服や、「手紙を書く女」の黄色い服のふわふわした感じは本物には及ばない。
これはやはり本物がもつ力だろうか。気のせいではないと思う。
(次回に続く)
2012年4月24日火曜日
旧東ドイツ紀行(18)
11月16日(水) ドレスデン市内
聖母教会を見たあとも、旧市街地を歩き回った。
(このあたりは去年の6月27日のブログもご参照ください)
これはブリュールのテラス。
次に「君主の行列」。
すでにお土産物屋さんがワゴン車で乗り付けて開店の準備をしていた。
もちろん統一前はこんな光景はなかった。
やはりここも観光客が少なく、静かな朝のうちに来る方がいい。
これは行列を後ろから見たところ。向こう側に聖母教会のドームが見える。
ちなみに、昼はお土産物屋さんのテントがずらりと並び、人通りも多い。
夜はライトアップされていい雰囲気が出ている。
下の写真は「強王」と呼ばれたザクセン選帝侯(在位1694-1733)フリードリヒ=アウグスト1世のアップ。中央に並んでいる2人の王のうち左側の人だ。下にAugustⅡとあるが、これはポーランド王に選ばれたときにアウグスト2世と称したためこう表記されている。
アウグスト強王は、フランスのルイ14世にあこがれてツヴィンガー宮殿などドイツ・バロック様式の建築物を次々と建設し、ルネッサンス期のイタリアの絵画をはじめとした多くの芸術作品を収集した。
それは、彼の息子、フリードリヒ=アウグスト2世(ポーランド王としてはAugust3世)にも引き継がれた(下の写真のアウグスト2世の後ろ)。今やツヴィンガー宮殿内にあるアルテ・マイスター絵画館の代名詞とも言えるラファエロの「システィナのマドンナ」も彼が収集したものだ。
散財のため財政状況が厳しくなり、人々の生活も苦しくなったかもしれないが、彼らのおかげで私たちは現在の「バロック芸術の街」ドレスデンを楽しむことができると言っても間違いではないであろう。
さて、これがツヴィンガー宮殿。入口から中庭を見たところ。正面左は改修中だった。
これは右側を見たところ。右手前から二つ目の少し奥まった建物がアルテ・マイスター絵画館。
これは左側。王冠門が見える。
正面入り口の建物を内側から見たところ。
アルテ・マイスター絵画館を出たときはすでに2時近くだった!
それだけ言葉では言い表せないほどコレクションは充実していたということ。
アウグスト父子に感謝。
次回はアルテ・マイスター絵画館について少しふれます。
(次回に続く)
聖母教会を見たあとも、旧市街地を歩き回った。
(このあたりは去年の6月27日のブログもご参照ください)
これはブリュールのテラス。
次に「君主の行列」。
すでにお土産物屋さんがワゴン車で乗り付けて開店の準備をしていた。
もちろん統一前はこんな光景はなかった。
やはりここも観光客が少なく、静かな朝のうちに来る方がいい。
これは行列を後ろから見たところ。向こう側に聖母教会のドームが見える。
ちなみに、昼はお土産物屋さんのテントがずらりと並び、人通りも多い。
夜はライトアップされていい雰囲気が出ている。
下の写真は「強王」と呼ばれたザクセン選帝侯(在位1694-1733)フリードリヒ=アウグスト1世のアップ。中央に並んでいる2人の王のうち左側の人だ。下にAugustⅡとあるが、これはポーランド王に選ばれたときにアウグスト2世と称したためこう表記されている。
アウグスト強王は、フランスのルイ14世にあこがれてツヴィンガー宮殿などドイツ・バロック様式の建築物を次々と建設し、ルネッサンス期のイタリアの絵画をはじめとした多くの芸術作品を収集した。
それは、彼の息子、フリードリヒ=アウグスト2世(ポーランド王としてはAugust3世)にも引き継がれた(下の写真のアウグスト2世の後ろ)。今やツヴィンガー宮殿内にあるアルテ・マイスター絵画館の代名詞とも言えるラファエロの「システィナのマドンナ」も彼が収集したものだ。
散財のため財政状況が厳しくなり、人々の生活も苦しくなったかもしれないが、彼らのおかげで私たちは現在の「バロック芸術の街」ドレスデンを楽しむことができると言っても間違いではないであろう。
さて、これがツヴィンガー宮殿。入口から中庭を見たところ。正面左は改修中だった。
これは右側を見たところ。右手前から二つ目の少し奥まった建物がアルテ・マイスター絵画館。
これは左側。王冠門が見える。
正面入り口の建物を内側から見たところ。
アルテ・マイスター絵画館を出たときはすでに2時近くだった!
それだけ言葉では言い表せないほどコレクションは充実していたということ。
アウグスト父子に感謝。
次回はアルテ・マイスター絵画館について少しふれます。
(次回に続く)
2012年4月15日日曜日
旧東ドイツ紀行(17)
11月16日(水) ドレスデン市内
昨日は温かくして早く寝たにもかかわらず、朝になってもノドの腫れはひかず、熱っぽさも残っていた。
今夜も地ビールを味わうのは無理かなと思いつつ、朝食が始まる6時半には1階に下りていった。少しぐらい体調が悪くても、せっかくドレスデンに来たのだから市内を歩かないともったいない。
朝食はベルリンのホテルとほとんど同じで、黒パン、チーズ、くだもの、ヨーグルト、少しばかりの野菜、そしてコーヒー。席は窓際で、ドレスデン中央駅が良く見えるところ。ここも毎朝の私の指定席となった。
ジャムも種類が豊富にある。器がコーンになっているので、底にジャムが残っても、そのままムシャムシャ食べることができる。
パンは黒いハード系。家でも毎週末にホームベーカリーでライ麦パンをつくっているほど黒パンが好きなので、黒系パンが多いのはうれしい。
朝食を終えて部屋に戻ると、外は明るくなっていたが、雲が低く立ち込めている。今日は一日曇りのようだ。
旅行前に買ったデジカメにはミニチュアライズ機能がついているので、試しに部屋の窓からドレスデン中央駅を撮ってみた。高さが十分でなかったせいか、ミニチュアっぽく見えないかな。
ところで中央駅の前の建物は、ベルリン中央駅と同様、四方が総ガラス張り。その後ろの一段低くなったところはまだ開発されずに残っている。そのうちここにも総ガラス張りの建物が建つのだろうか。
外に出るとやたら寒い。プラーガー通りから旧市街地へ行く途中はリニューアルされたホテルや、ショッピングモールがずらりと並んでいる。
下の写真の一番手前のホテルは、位置関係から見て私が22年前に泊まったインターホテルがあったところ。今では同じ系列のホテルが威勢よく3棟並んでいる。
まずはじめに見たかったのが聖母教会(Frauenkirche)だったが、一方で、戦争の悲惨さを後世に伝えるため廃墟のまま残しておけば良かったのでは、という思いも強く、きれいに再建された聖母教会は見たくない、という気持ちもあった。
そんなことを考えているうちにクリスマスの市の小屋が準備されていた旧市場広場まで来ると、聖母教会の先端が見えてきた(中央少し左寄りの高い木の後ろ)。ここまで来たらもう引き返すわけにはいかない。
見たくもあり、見たくなくもあった聖母教会。
複雑な思いを抱きながら、明るいクリーム色をした建物の前に立った。
あまりの新しさにまばゆいばかりだ。
正面のマルティン・ルターも揺るがぬ信念をもって堂々と空を見上げている。
しかし聖母教会は廃墟の痕跡を残していた。裏手に回ってみると、廃墟の部分はそのまま残し、崩れて積み上がっていた煉瓦もできるだけ再利用しているのがわかる。壁のところどころに見える黒い煉瓦がそれだ。
映画「ドレスデン」では爆撃によって街が破壊しつくされる場面が延々と続く。降り注ぐ爆弾の雨、燃え上がる炎、逃げ惑う人々。教会は新たに再建されたが、煉瓦の色の違いが当時の悲惨な状況を伝えてくれる。
私は少しほっとしたが、煉瓦の色の違いを説明する案内板や、廃墟になっていた時の写真は周囲にないのが残念に思えた。聖母教会を廃墟として残したDDRのことも過去のものにしたいからなのだろうか。
もう9時を回っているが、気温はまったく上がる気配はない。寒さでカメラのバッテリーが上がってしまい、厚手のジャケットの中に入れて温めなくてはならないほどだったし、体調も良くなかったが、それでも早く来て良かった。
後で気がついたが、この周辺はレストランやお土産物屋が並び、昼間や夜には多くの観光客が訪れる場所だ。夕方には教会の前の広場でストリートミュージシャンがギターをかき鳴らしていた。
下の写真は、午後になってエルベ川岸の方から見たところ。多くの観光客でにぎわっている。このにぎわいもいいのだが、聖母教会を前にして過去の歴史を振り返り、もの思いにふけるのは早朝に限る。
(次回に続く)
昨日は温かくして早く寝たにもかかわらず、朝になってもノドの腫れはひかず、熱っぽさも残っていた。
今夜も地ビールを味わうのは無理かなと思いつつ、朝食が始まる6時半には1階に下りていった。少しぐらい体調が悪くても、せっかくドレスデンに来たのだから市内を歩かないともったいない。
朝食はベルリンのホテルとほとんど同じで、黒パン、チーズ、くだもの、ヨーグルト、少しばかりの野菜、そしてコーヒー。席は窓際で、ドレスデン中央駅が良く見えるところ。ここも毎朝の私の指定席となった。
ジャムも種類が豊富にある。器がコーンになっているので、底にジャムが残っても、そのままムシャムシャ食べることができる。
パンは黒いハード系。家でも毎週末にホームベーカリーでライ麦パンをつくっているほど黒パンが好きなので、黒系パンが多いのはうれしい。
朝食を終えて部屋に戻ると、外は明るくなっていたが、雲が低く立ち込めている。今日は一日曇りのようだ。
旅行前に買ったデジカメにはミニチュアライズ機能がついているので、試しに部屋の窓からドレスデン中央駅を撮ってみた。高さが十分でなかったせいか、ミニチュアっぽく見えないかな。
ところで中央駅の前の建物は、ベルリン中央駅と同様、四方が総ガラス張り。その後ろの一段低くなったところはまだ開発されずに残っている。そのうちここにも総ガラス張りの建物が建つのだろうか。
外に出るとやたら寒い。プラーガー通りから旧市街地へ行く途中はリニューアルされたホテルや、ショッピングモールがずらりと並んでいる。
下の写真の一番手前のホテルは、位置関係から見て私が22年前に泊まったインターホテルがあったところ。今では同じ系列のホテルが威勢よく3棟並んでいる。
まずはじめに見たかったのが聖母教会(Frauenkirche)だったが、一方で、戦争の悲惨さを後世に伝えるため廃墟のまま残しておけば良かったのでは、という思いも強く、きれいに再建された聖母教会は見たくない、という気持ちもあった。
そんなことを考えているうちにクリスマスの市の小屋が準備されていた旧市場広場まで来ると、聖母教会の先端が見えてきた(中央少し左寄りの高い木の後ろ)。ここまで来たらもう引き返すわけにはいかない。
見たくもあり、見たくなくもあった聖母教会。
複雑な思いを抱きながら、明るいクリーム色をした建物の前に立った。
あまりの新しさにまばゆいばかりだ。
正面のマルティン・ルターも揺るがぬ信念をもって堂々と空を見上げている。
しかし聖母教会は廃墟の痕跡を残していた。裏手に回ってみると、廃墟の部分はそのまま残し、崩れて積み上がっていた煉瓦もできるだけ再利用しているのがわかる。壁のところどころに見える黒い煉瓦がそれだ。
映画「ドレスデン」では爆撃によって街が破壊しつくされる場面が延々と続く。降り注ぐ爆弾の雨、燃え上がる炎、逃げ惑う人々。教会は新たに再建されたが、煉瓦の色の違いが当時の悲惨な状況を伝えてくれる。
私は少しほっとしたが、煉瓦の色の違いを説明する案内板や、廃墟になっていた時の写真は周囲にないのが残念に思えた。聖母教会を廃墟として残したDDRのことも過去のものにしたいからなのだろうか。
もう9時を回っているが、気温はまったく上がる気配はない。寒さでカメラのバッテリーが上がってしまい、厚手のジャケットの中に入れて温めなくてはならないほどだったし、体調も良くなかったが、それでも早く来て良かった。
後で気がついたが、この周辺はレストランやお土産物屋が並び、昼間や夜には多くの観光客が訪れる場所だ。夕方には教会の前の広場でストリートミュージシャンがギターをかき鳴らしていた。
下の写真は、午後になってエルベ川岸の方から見たところ。多くの観光客でにぎわっている。このにぎわいもいいのだが、聖母教会を前にして過去の歴史を振り返り、もの思いにふけるのは早朝に限る。
(次回に続く)
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