2011年7月2日土曜日

二度と行けない国「東ドイツ」(4)

(前回からの続き)
 私たちはドレスデンの旧市街を中心に散歩していた。ちょうどブリュールのテラスあたりを歩いていたとき、若い女性の先生に連れられた幼稚園ぐらいの子どもたちの一群と出くわした。子どもだったら冷たい反応はしないだろうと思い、私は手を振ってみた。
 すると、十人ぐらいいた男の子や女の子は、全くの無表情でじーっとこちらを見つめている。
 「ああ、子どもたちまでも」
私はいたたまれなくなり、その場を離れた。
 さて、夕食。ドレスデン中央駅の中の食堂なら旅行者も相手にしているので入れるだろうと思い、中央駅に向かった。中央駅といっても、前回お見せした写真のように、旅行者の乗降はあるが、至って静かなたたずまい。それでも食堂はある。
 中に入ると、空いている席にどうぞ、という感じ。とりあえずは一安心。しかし、店の中を見渡すと、でかい図体で、長髪に革ジャン、髭はぼうぼうという若い連中が5~6人、飲み食いしながら大声で騒いでいる。
 一瞬、「これはまずいところに入ったな」と思ったが、だからといって出るわけにもいかず、ビールと料理を注文した。
 そのうちに、革ジャン軍団の一人が私たちの存在に気がつき話しかけてきた。目は座っていて、ろれつもまわらず、そうとう酔っぱらっているようだ。
 ところが、「どこから来たんだ。そうか、日本か」とか、「日本のどこに住んでいるんだ」とか親しげに話しかけてくる。
 私はうれしくなり、しばし会話を続けた。
 そのうちにビールと料理も出てきて、話しかけてきた革ジャン君も軍団にもどり、自分たちだけで盛り上がっていたので、静かに料理にありつくことができた。
 帰り際に、「帰るね」と革ジャン君に声をかけると、笑顔で「また来いよ」という声が返ってきた。わずかの間の会話であったが、こんな親しげに話をしたのは東ドイツでは初めだ。
 宿は駅から歩いてすぐの「インターホテル」。ホテルまでの短い距離を歩きながら、何だか救われたような気になった。
(写真は、上がホテルから見たドレスデン中央駅の全景。約40日後の10月5日、ここは東ドイツ崩壊の動きの中で大きな緊張に包まれることになる。この話はまたあらためて。そして、下が駅前広場から続く通りとインターホテル。ドイツの新しい観光ガイドブックを見たら「インターホテル」の名前は見当たらなかった。西の資本に買収されたのだろうか。)

(次回に続く)

(前回の補足)
 現在の聖母教会の写真は、ドレスデン市の観光案内の聖母教会のページで見ることができます。
   ↓

http://www.dresden.de/dtg/de/sightseeing/sehenswuerdigkeiten/historische_altstadt/frauenkirche.php

前回紹介したドレスデン市観光のトップページでは、一番左のドーム型の屋根をもった新しい建物が聖母教会です。