(前回からの続き)
入国審査のあとは検札。赤ら顔で小太りの車掌がコンパートメントに顔を出した。まずチェコ人のおばさんの切符に目を通し、黙って返す。続いて私。財布から切符を出して車掌に渡す。すぐ返すのかと思ったら、なんと
「この切符ではプラハに行けない」と言い出す。
「そんなことはない。日本でちゃんとプラハまで注文したんだ」と言い返す。
すると車掌、
「この切符ではひとつ前の駅までしか行けない」
「プラハって書いてあるじゃないか」
「いや、これでは途中で降りてもらうしかない」
しばらく押し問答がつづいたあと、車掌はあごをしゃくって、
「ちょっと来い」と言う。
仕方なくついて行く。2両ほど歩いただろうか、車両の連結部で車掌が立ち止りこちらを振り向いた。
「おい、お前、西ドイツの50マルク札をもっているだろ」
しまった、切符を出すとき、財布の中を見られたのだ。
「あれをよこせば許してやる」
なんだ、この車掌はワイロがほしかったのか。
50マルクといったら大金だ。当時のレートは1マルク80円ぐらいだったろうか。約4,000円だ。
ワイロを要求されることがわかっていたら、少額紙幣を用意していたのに、と思ったがもう遅い。持っている外貨はこれだけで、あとは日本円だ。
あれこれ考えたが、いい知恵も浮かばず、この窮地から脱却するには50マルク札を渡すしかなかった。
50マルクを受け取った車掌は、もういい、といったしぐさを見せて、私たちのコンパートメントとは反対の方向に歩いていった。
コンパートメントにもどり、向かいに座っているおばさんに一部始終を話すと、おばさんは右手で自分の前を払うようなしぐさを見せ、「50マルク!」と言って天を仰いだ。
プラハにはどうにかたどり着くことができた。夕暮れの迫るホームを歩いていたら、人ごみの前の方に、ワイロ車掌が歩いているのが見えた。
私たちは、
「ああやって小遣い稼ぎしているんだろうな」とか、
「今日は家族においしいものを買って帰るんだろうな」とか言って、うさを晴らすしかなかった。
東ドイツの暗い街からきたせいか、プラハの街はオレンジ色の街灯があちこちに輝いて、明るく感じられた。レストランにも何の問題もなく入ることができ、夕食をとった。
メニューは直径20㎝以上ある骨付き豚肉のかたまり。ナイフとフォークで格闘しながら食べた。もちろんチェコビールを飲みながら。
実は、今回の旅行では8ミリビデオをもっていった。このブログを書くため押入れから久しぶりに出したが、故障して動かない。この料理も撮ったのだが、残念ながら見ることができない。ビデオで撮っていたので、写真は撮らなかった。
その晩、豚肉の食べすぎか、床についた時、ものすごい胸焼けに襲われたが、おいしい料理をたらふく食べ、おいしいビールをたっぷり飲むことができた喜びにひたりながら眠りにつくことができた。
(次回に続く)