(前回からの続き)
実は、「二度と行けない国『東ドイツ』」は、1983年に出版された『行ってみたい東ドイツ~DDRの魅力』(サイマル出版会)へのアンサーソングだ。行ってみたいけど、もう二度と行けない。その本の裏表紙には、
「歴史的な首都ベルリン、バロック芸術の街ドレスデン、静寂が身を包むチューリンゲンの森、石畳にバッハが流れる商業の街ライプツィヒ。ポツダム、ワイマール、そして中世の繁栄を伝える港町ロストックなど・・・DDRにはさまざまな顔がある」
と高らかにうたわれている。東ドイツは見どころが多い。これはまぎれもない事実だ。
本文でも、それぞれの街や森が紹介されていて、写真もふんだんに使われれているので、読んでいるだけで楽しい。旅のガイドブックとしては今でも十分に通用すると思う。
DDRを訪問した日本の著名人の短い旅行記も掲載されている。もちろん、彼らは私たちのような「招かれざる個人旅行者」ではなく、東ドイツ政府に「招かれた来賓」として歓待されたので、レストランで食事ができなかったという体験はない。
産業や文化についても良いことばかり書かれ、工業については「世界で最も工業化の進んだ国の一つ」と称えられている。実態があまりにひどかったのは、当時の西ドイツでさえ見抜けなかったことは第1回目のブログでも触れた。 「外国人観光客の場合は、そのほとんどがインターホテルに宿泊している。日本人観光客が宿泊するホテルでは、日本人向けのサービスとして、浴用スリッパ、浴衣などが用意されている」とある。
しかし、浴衣はなかったように記憶している。まあ、バロック芸術の街で浴衣もないと思うが。
また、インターホテル・チェーンは、DDR国内に31のホテルをもつとのこと。やっぱり統一後は、チェーンごと西側の資本に買収されたのだろう。
右の写真は『行ってみたい東ドイツ』の表紙。出版社も廃業して、本も絶版になっているが、図書館にはあると思うので、興味のある方はご一読を。
さて、次の目的地はプラハ。親しく話をした若者にも出会えたが、東ドイツの人たちの冷たい対応にはほとほと疲れ、「もう二度と来たくないな」と思いつつ、私はドレスデンからプラハに向かう列車に乗った。
繰り返しになるが、旧DDRには見どころが多い。列車は途中、「ザクセンのスイス(Sächsische Schweiz)」と呼ばれる渓谷地帯を縫うように通っていく。奇岩がそそり立つ山肌や、澄み切った川面を見ながら、同じコンパートメントで向かいに座ったチェコ人のおばさんと話をしているうちに沈んでいた気持ちも少しづつ和らいできた。(ザクセンのスイスについてはザクセン州のホームページをご参照ください)
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http://www.regionen.sachsen.de/1601.htm
チェコ人のおばさんは東ドイツの知り合いのつてをたよって買い出しに行ってきたとのこと。座席の横には大きな包みがある。
列車が走っているうちに出入国管理官がコンパートメントに回ってきて、入国手続きを行う。私たちは無事、チェコスロバキアに入国できた。黄金のプラハ、我が愛すべきフランツ・カフカの生まれ育ったプラハはあと少しだ。
ところが、プラハに着く前にまた思いもかけぬトラブルに見舞われることになる。
(次回に続く)
(写真の説明)
上は東ドイツのビザ。都市および農村の勤労者を表す穂の輪に囲まれた鎚とコンパスのエンブレムのスタンプが誇らしげに押されている。
下は東ドイツの紙幣と硬貨。20マルク札の肖像はゲーテ。ゲーテの下には1マルク硬貨を表裏にして置いた。ここにも東ドイツのエンブレムが。それにしても1マルクは軽い。アルミニウムでできていてまるで1円玉のよう。軽いのは重さだけでなく、価値も軽かった。ドイツ統一にさきがけ1990年7月の東西ドイツの通貨同盟では公称の交換レートは1:1だったが、実際には1:5またはそれ以下だったと言われている。